うちには4ヵ月?の子猫がいます。
ロシアンブルーの男の子で、今がやんちゃ盛りなんですが…
母のその子に対するしつけを見ていると
昔のことがフラッシュバックして怖くて仕方がありません。
子猫の噛み癖を直すための方法のひとつに
「噛み付いてきたらわざと指を
喉に突っ込んで吐き気を催させて
“噛む=嫌なことされる”と覚えさせる」
というのがあって、実際メジャーな方法らしいのですが、
これをやっている時の母の目が怖いんです。
やり方がどう考えても度を越してるんですよ…
猫が何度かえづいて降参して必死で
「もうやめて」と前脚で拒もうとしても、母は
「まだ分からないの!ほらイヤでしょう?ほら!ほら!」と
しつこくしつこく指を喉に入れようとします。
もがいて逃げようとしてもしっかり抱えて逃がしません。
明らかにキレてます。
私が何度か制止して、やっと終わるという感じ。
終わった後は猫は人間不信な顔で人から離れてしまいます。
しばらくは私にさえ近寄ろうとしません。
まぁまたすぐ元気になって噛んでくるのですが(笑)
でもあの直後の表情を見ると辛くて泣きそうになります。
昔、自分が殴られていた頃を思い出します。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」といくら泣き叫んでも
殴る手を緩めてはくれなかった母。
子供の力では開けられない扉式の押し入れに閉じ込められたり
物を投げ付けられたり電話のコードで首を締められたり…
泣いても謝っても逃げても、何をしても殴られる。
助けを求める相手もいない。抵抗も出来ない。
彼女自身の満足が得られるまで「罰」は続くのです。
「お前が悪いことをしたんだ!だからこうされるんだ!
これは当然の罰だ!お前が悪いんだ!」と責められながら。
そういう直接的な「子供時代の恐怖」のフラッシュバックと
こうして客観的に現場を見ることで、
いかに彼女が過剰で異常な体罰を加えていたかが分かって
「大人の目で見る冷静な恐怖」が入り交じって
その場でパニックに陥りそうになります。
私自身への過剰な体罰は中学入学と同時になくなりました。
幼稚園後期から小学校いっぱいまでの8年間ほどです。
彼女はきっと小学生までなら自我がなくて
何をしても大丈夫だとでも思っていたのでしょう。
子供のうちのことならいずれ忘れてしまうだろうとも。
世間体を気にする人だから、私が成長してきて
体罰のことを漏らされるのを恐れていたのかもしれません。
でも私はちゃんと覚えてますよ。
小学生をなめてはいけません。
彼女の鬼のような形相も、殴られた痛みも恐怖も、
逃れられない無力感も絶望感も、全部覚えてます。
母が思っていたのより私は遥かに早熟な子でしたから。
以前にも書いたと思いますが、小学高学年の頃には
「私が殺されて母が過剰虐待で捕まって報道されればいい」
とまで考えていました。
私が母を殺すより、そちらの方が彼女に遥かに大きな
ダメージを与えられると思ったからです。
もちろん私が母を殺すという考えもありました。
でも前者がよかった。
それが最善の復讐手段だと思ってました。
殺されなくてちょっと残念。
ACのテキストに
「あの頃、子供の自分には、抵抗なんて出来なかったはず。
それは仕方なかったのです。その傷ついた子供の自分を
今のあなたが優しく抱きしめてあげましょう」という
フレーズがあって、最初に読んだときには泣きました。
ほんとに、どうしようもなかったんだ…
抵抗するには力の差があり過ぎたし、
誰かに助けを求めればそれをまた責めて殴られるのだから。
仕方なかったんだよ、もう大丈夫だよ、と
自分に語りかけています。
まだまだ傷は癒えませんが…絆創膏ぐらいにはなるかな。
母本人はきっと、自分がしてきたことの重さにも、
作り上げてきた立派な「機能不全家族」にも気付いてません。
「自分は正しい教育をしてきた」と本気で思ってそうです。
そういう人なんです。
正しく育ったはずの二人の娘が二人ともメンヘラなのを
彼女はいったいどう受け止めているのでしょうね。
彼女から今更謝罪されたいとは思いません。
そもそも反省もしないでしょう。
彼女にはもう諦めしか抱けません。
何も期待してません。
もう何年も表面上の付き合いだけ続けています。
これからもそうするつもりです。
内心で煮えたぎるフラッシュバックも憎しみも
表には一切出しませんよ。
その抑え方を学ばせてくれたという点についてのみ
感謝してますよ、お母様。