2005年08月28日

オ母サマ。

体重が増えて落ち込んでる娘に
増えたことを喜んでみせるってのは
何がしたくてとる行動なんですか。
ねぇお母様。
わざと貴女のその手の無神経な言葉を引き出して
わざと傷ついて腕を切る変な娘でゴメンナサイ。
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2005年08月08日

苛々('A`)

ここんとこ通退勤・通院にタクシーを使いまくりです。
もちろんバイト講師の薄給で賄えるはずがないので、
タクシー代(及び最近の生活費)は親に頼っている状態です。
現状タクシー代だけで一日1200〜2000円の出費が…('A`)

昼間→暑くて倒れそうだから
夜間→電車に揺られて疲弊しているため
という理由でタクシー乗りまくりなんですが…
後者だけでも少し我慢しなくちゃなーと思ってます。
頑張れば歩けるはずだーヽ(`Д´)ノ
歩かずにいることで余計に体力落ちそうだし(´・ω・`)

てな訳で今日は最寄り駅から歩いて帰ります(`・ω・´)
準急で立ってたので息苦しくてふにゃふにゃだけど('A`)

親のことは憎んでいるのに、お金をかけさせることには
何故か妙に抵抗があります。

昔から私は親からお小遣いをもらってなくて、
何か要るときには頼んで渋々手渡される、のが普通でした。
その後遺症かなーって自分では思ってます。
お金をもらうたびに罪悪感。
正直今の自傷の理由はほとんどコレです。
仕事を休んで収入が落ちたこと、その上入院までして
さらに負担を増やしたこと、今後も通院しなきゃならないこと…
すべてが申し訳なくて。
私には勿体ない待遇で。
「親が子を助けるのは当たり前」と言われても、
そんな雰囲気の家庭で育っていないのでわかりません。

今は週に一万円+医療費という形で一応合意しています。
でも今のタクシーの使用頻度と食生活では
それですら厳しかったりとか…=□○_

働いてると見せかけて何気にヒッキー以上に
家計を圧迫している今の自分にはサイコーに苛々します。

とりあえずタクシー控えめ条例を施行。
何とかして食費も削れないかなぁ…
posted by こむぎ子 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月18日

飲んでもーた('A`)

昨夜は結局我慢出来なくて飲酒してしまいました。
んで居間に行って両親の前で大泣き&大荒れ。
お酒は今の私には明らかに良くないのですが、
その勢いで家族に今まで言えなかったことを言えたり
聞けなかったことを聞けたりするのは
ちょっといいな、と思ってしまいました。
問題をとにかく無かったことにして隠してしまうことが
機能不全家族の特徴のひとつですから。
…だからって私がお酒飲んでいいとは思いませんが(;・ω・)

母が酔った私を見ると
「お酒さえ入ってなければいい子なのに」
と毎回言うのが少しカンに障ります。
いや実際ぐだぐだに荒れて自傷したりするので
アル中扱いされるのは仕方ないことなんですけど、
母が使う「いい子」という表現がひっかかるのです。
なんかそれって、家庭について文句を言わないって意味での
「いい子」なんじゃないかと穿ってしまって。
酔っ払うと「なんで殴ったの?」とか聞いちゃいますから。
そういう意味ではもう「いい子」でなんかいたくないです。

私は表面的には比較的恵まれた家庭で育ったと思います。
大学を2度も留年しても卒業まで学費を出して貰えたし、
ピアノ関連でかけてもらったお金なんて多分返しきれない。
その点では親に感謝はしています。
信頼できる彼氏と出会ってからは、
今まで殺さないでいてくれてありがとう、とすら
思えるようになりました。
今までは「こんな家庭に縛りつけるぐらいなら殺して」
だったので、大幅に落ち着き変化したと思います。

でもやっぱり私は自分が機能不全家族の中で育てられたと
思っているし、今の私の歪んだ精神は
その中で作られたと思っています。
まぁ家庭環境で人格が形成されるのはどこもそうですが。

親に感謝と敬愛の念を抱くことが子供の義務である、という
一般論は、頭では理解出来ますがうちに適用は出来ません。
親不孝と言われようが事実なので反論もしません。

休職を決めたときに一番気になったのも、
「ずっと母親とひとつ屋根の下に暮らすことになる」点で。
どうせ仕事がないなら入院してしまいたいとも思いました。
入院の期間ってこちらで決めたり出来ますかね?
危惧通り母と二人で一日過ごすのはつらいです。
なるべく部屋にいるけど変に「心配」して
頻繁に部屋を訪ねられたりするし。
心配ならほっといて欲しい…(´・ω・`)
posted by こむぎ子 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月11日

昨夜の顛末。

昨夜は自宅に妹と、
な ん と 彼 氏 が 来てました。
うちはテレビに出れちゃう級に汚いので
友達すらまともに呼んだことはなかったのですが…
大胆になったね私!

まぁ和やかにご飯を(私以外が)食べたり
お酒を(みんなが)少し飲んだり、
にゃんこを本気でからかったり(たるとマジギレ)と
楽しく過ごしておりました。

が。
20年以上住んでるのにうちには客用布団がないのです(;´Д`)
さてどーしましょということで、結局
彼氏には妹夫妻宅に泊まってもらうことに。
私は眠かったのと長時間車に乗るのがつらいので
お留守番をしていることになっていたのですが…

このところ不安に感じていたのが、彼氏がいなくなって爆発。
「文句や不安はすぐに言え」はまだまだ守れません…
そしてさくさくリスカ開始。
これ、根性焼きより痛くなくて血が出て派手だから
自傷手段として人気があるんだなーと思いました。

切っても切っても不安が拭えなくて、とった行動。
煙 草 を ほ ぐ し て 飲 む 。
なんか冷静に考えたら自傷ってか自殺してます('A`)b
プラス○○+ティーバッグに煙草の葉を浸したものを飲用。
これまずくて吐くかと思った(;´Д`)
ここまでやってちょっと怖くなって彼氏に連絡。
大急ぎで父(運転してた)と彼氏が戻ってきました。
この間、自宅にいたのは母親と私。
ささくれ立ってる時に彼女の存在は危険です…
ひとりで彼氏を待っていたいのに何度も部屋に来る。
「ほっといてよ!」「一人にして!」
「○○(彼氏)来てから病院行くから!」「来ないで!」
何時泣き喚いてもしつこく来る来る。
しまいには私の態度にキレて「勝手にしなさいバカ」と退室。
余計にパニックを煽られた私は彼氏の名前を呼びながら
ずっと腕を切り続けてました。

どれぐらいか経って彼氏&父到着。即病院へ。
点滴ぐらいで帰れると思ったら
胃 洗 浄 す る っ て ((;゜Д゜)
いきなり寝かされて、手足を拘束されて(!?)
ゴムホースみたいな太さの管をがんがん突っ込まれました。
痛い痛いちゅーか苦しいぐるじいちぬ=□○_
水ぐいぐい突っ込まれてげろげろ吐かされて。
マジでニコチンじゃなくてゴム管に殺されるかと…
その後は水分点滴(?)をして帰宅。
…と言っても散々母に暴言吐いてた
(「うるさい!」「出てけ!」
「こんな時にばっかり親ヅラしないでよ!」etc)
&暴言吐かれてたので帰りたくなくて。

父親に車でラブホに送られる変なカップルになりました('A`)
化粧品や服は父に持ってきてもらって。
足りないものはコンビニで買って。
とゆー訳で今はラブホでもにょもにょごろごろ中。

私は煙草の葉をそのまま食べたのですが、
同じ2本でニコチン水作って飲んだら
死んでたかもしれなかったそうです…((;゜Д゜)
まぁ生きてマス=□○_

そんな昨夜の顛末でした(・ω・)
posted by こむぎ子 at 11:15| Comment(3) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月22日

虐待本

最近いわゆる『虐待ノンフィクション』ものを読んでいます。
といってもまだ少しなんですが。
海外のものが多い(=国民性の違い)からか、
“虐待を受けたことのない人を感動させる”という
あの手の本の商業的な目的のせいか、
読んで共感できるものには今のところ出会えていません。
いくつか簡単に紹介しようかと思ったんだけど
mixiのレビュー機能使っていくつか書いたのがあるので
後日コピペで再利用しようと思います(・ω・)

とりあえず一番メジャーっぽい『“It”と呼ばれた子』は
私的には「ちょーつまんなかった」です。
後日詳述っていうかコピペしますが、
虐待されてる子が前向き過ぎて全然感情移入出来ませんでした。
「お前最中にホントにそんなこと思ってたんか?あぁん?」
って感じです。ひねくれててスイマセン。

ちょっと面白かったのは『ウェイン』。
過去を振り返るシーンと虐待のシーンが交互に出てくるせいか
虐待されている間離人状態になっていた点が似ているせいか
これは割と興味深くさくさく読めました。
これもちゃんとした感想はまた後日。

こういう本に共感出来ないのは、自分自身がいまだ
親から解放されていない状態だからなのかなーと思ったり。
だから「立ち直った」と言い切り本を書く彼等に
羨望と猜疑の視線を向けてしまうのかもしれません。
いつかACから脱却してサバイバー(生き延びた人)から
スライバー(過去を割り切れた人※)になれたら
これらの本にも違った角度から接することが
出来るようになるのかもしれません。
…いつになるか知らないけど。
(※斉藤学氏の分類による)

とりあえずあの手の本を読んで
「生きることについて考えさせられました!」とか
「こんな話が実話だなんて信じられません!」とか
「こんな虐待行為は許せません、有り得ません!」とか
「主人公の逞しさに心を打たれました!」とか
そういう“素直な”感想を抱ける人は羨ましいなーと。
ほんと、心底羨ましいんです。
だって読んで感動したり考えたりするってことは、読むまでは
そういうことを考えずに生きてこられたってことで。
どんな幸せな家庭で育ったんだろうなー、と。

何を以て“幸せな家庭”とか“平和な家庭”とか言えるのかは
私にはちゃんとは分かりません。
でも「私の家も大変でね〜」と親との喧嘩の話をされると
この人は幸せなんだな、と羨ましくなります。
痴呆のある祖父母を抱えて苦労している友人もいます。
それは大変だろうなーとは思います。
でもやっぱり羨ましくて…
どうしても見えない壁を感じてしまいます。

何より「親と喧嘩が出来る」家庭が羨ましいです。
甘やかされ可愛がられてきた子よりも羨ましいです。
親に歯向かうことが出来る家庭。
想像もつきません。
私にとって親はあくまでも『支配者』で、
『支配される側』の私が反論するなんてことは
絶対に許されざることだったから。
喧嘩という対等な関係を作れる人は羨ましいです。
正直、妬ましいとすら思います。
古くからの大切な友人であっても、そういう点では
劣等感を抱かずにはいられません。
イヤな子ですね、私。
私が家庭の話をすると友達はフォローするつもりで
結局私に更なる劣等感を植え付けてくれます。
安易に直接「いいなぁ」とも言えず、悶々とするだけです。

友達にこんな感情を持ってしまう自分が嫌で
虐待体験談の本を読む訳です。でもピンと来ない。
余計にもやもやは強まっていってしまいます。

トラバの方にも書いたけど、今と同じスペックで
別の家庭で育っていたらどうなるのかなーて考えます。
posted by こむぎ子 at 04:32| Comment(4) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月19日

自己否定の原点…

例えば喧嘩をした時。
「死ね」「お前を殺す」と言われたことはありますか?
ある場合。
「お前と同じ世界にいるぐらいなら俺は自殺する」
と言われたことはありますか?
両方ある場合。
どちらがより言われて苦しくなりますか?
言われたことのない方にも同じことを聞きます。
どちらが言われたらきついと思いますか?


私は実の母親に後者を言われながら育ちました。
表現は少し違います。
彼女の口癖はこうでした。
「お前といるぐらいなら死んだ方がマシよ」

いつから言われ始めたのかは覚えていません。
意味がわかったのは幼稚園のときでした。
母が私を散々殴った後で最後にそれを言い捨てて
隣室に行ってしまった日のことでした。
やっと話せるぐらいになった妹がとことこやって来て、
「ママとなりでえんえんしてるよ」
と私に言ったのも覚えています。

私が生きている、存在している、ただそれだけのせいで
大人が、それも自分の親が死にたいと考えるんだ――
自分はほんの小さな子供だと思っていた私には、
それはとても大きな衝撃でした。
私自身が殴られるより、首を絞められるより、
「死ね」と言われるより、その言葉は重いものでした。
私が生まれたせいで母は苦しんでいるんだ、
母は私を産んだことをきっと後悔していて、
だから死にたくなっちゃうんだ、と思いました。

その後も同じ言葉を投げ付けられるたび、
私は内心で「ごめんなさい、私がいてごめんなさい」と
ひたすら平謝りしていました。
声に出して「ごめんなさい」とも言っていたけれど、
それは殴られる恐怖と痛みから開放されるための悲鳴で、
心の中の“ごめんなさい”とは違うものでした。
「こんな目に遭い続けるならいっそ殺されたい、
そうすれば母は酷い母親として逮捕されて、
一生癒えない傷を持つことになる――」
そんな反発心が芽生えたのは小学校に上がってからの話で、
幼稚園時代の私はただただ自分が存在していることを
自分で責め、後悔するだけでした。


これが私の根深い自己否定の原点だと、私は思っています。
今でも事あるごとに私の中の私(=母親)が叫びます。
「お前(私)なんかがいるから――」
自責パニックのときに自分のことを
「こいついらない、殺す」と言うのも、その名残でしょう。




記憶喪失になりたいです。
posted by こむぎ子 at 18:34| Comment(2) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月16日

かぞく

私の目から見た私の家族。
眠剤効き待ちで書いてるだけ(笑)

◆父親
ふつーの(?)サラリーマン。
見た目も普通の穏やかなおじさん。
高校の友達には「かっこよくていいな」と言われたことも。
私から見ても“ぐだぐだのくたびれたオッサン”ではない。
内面は分からないけど。
小心者なので緊張すると不必要なほどににこやかになる。
実は小さな小さな会社のちょっと偉い人なのを最近知った。
平日は忙しそうで、昔は休日はゆっくりしたがっていて、
小さい頃は10時ごろまで寝ていようとするのを
邪魔して遊んで貰おうとしていたっけ。
最近は休日は外に行っていることが多いみたい。
虐待されていた頃は彼の帰宅が何より待ち遠しかった。
帰ってくれば暴力が止まるから。
基本的に気が弱い人なのはかなり前からわかっていたから
母の虐待は見て見ぬフリをしていると思い込んで
止めてくれないと逆恨みしていた頃もあった。
(実際には本当に知らなかったようだ)
以前は家庭そのものから逃避していた人。
でも今は家庭を諦めながら私個人を心配してくれている人。
どこかふわふわしていて性格は近い気がする。
卯年・水瓶座・A型。

◆母親
我が家の悪い意味でのキーパーソン。
厳格な家庭で育った元お嬢様らしいけれど、
今の姿からはそんな育成環境到底想像できない。
見た目にまったく気を使わなく、風呂にもろくに入らないので
近寄ると正直言って、臭い。
不妊治療のホルモン剤で太ったと言うけれど、
治療を止めてから25年も太り続けるのは
どう考えても生活のせいだと思う。
前述のとおり見た目に構わないので、
太った身体、すっぴん、ぼさぼさの脂っぽい髪で
平気で外出したりしている。一緒に歩きたくない。
世間体と自己保身が彼女の精神の大半を占める。
自分が間違っていることからは徹底的に目を逸らす。
信じられないほど根拠のない自信で満ちている。
でも他人の粗探しは好き。
他人をけなさないと保てない程度の自信なんでしょう。
一緒に外食するとマイナスコメントばかりつけるので
こちらまで食べるのが嫌になってしまう。
普段スーパーの弁当やインスタントラーメンで生きてるのに
どうしてレストランの料理に文句を言うのかわからない。
私は彼女から小学生の間は肉体的・精神的な虐待を受け、
それ以降も精神的な圧迫は続いた…続いている。
現在の私の病気についてもまったくの無知。
早く離れたい。
彼女が死んでも私は多分泣かない。
辰年・射手座・A型

◆長女=私
AC的な分類における典型的な“優等生”。
幼児の頃から発達が早く、しっかりしていた。
周囲からも「いい子」として扱われてきた。
でもその裏側では虐待を受けていたので内面は歪みまくり。
自分が誰よりも劣っているように感じて大嫌い。
中学ごろから今のような思索厨だった。
生き苦しくて、死にたくて。
でも母親に復讐したくて生きてたり。
親に押し付けられた“志望校”の受験はしても
何枚かはわざと白紙で提出したりしていた。
大学受験が済んでしまってそういった
小さな反抗が出来なくなってからはいろんなものに依存。
盗癖・セックス依存・ネットゲーム依存。
母に反抗したいというより、母のメンツを潰したかった。
もうあの人の見栄の材料にはなりたくない。
今でもこうして大学生活で失敗しフリーターとなったことを
「ざまーみろ」と思ってたりして。
8割方吹っ切れているのにまだどこか引きずってる。
早く脱却したい。
申年・射手座・O型

◆次女
“期待され過ぎて壊れた私”とは対象的な
“期待されなさ過ぎて壊れた子”。
自信のなさの裏返しで自己愛が異常に強い。
ボーダーで通院歴あり。
とにかく彼女は身体も弱く、アトピーもあって
成績も芳しくなく、ひたすら心配されて育った。
そのせいで「心配されなくなること」を恐れて
ボーダーになってしまったのだと思う。
元リストカッターでもあり、酷い虚言癖もある。
「もっと構って、心配して」的なオーラを出している感じ。
昨年結婚してからはだいぶ落ち着いたみたい。
今まであまり話したりしていなかったのだけど、
最近メールでメンヘルトークしてたり(笑)
でも私と彼女は症状の根っこが違うので
話を聞いても特に参考にはなってなかったり。
本音で話せるのは、まぁ楽しいかな。
猪年・獅子座・A型
posted by こむぎ子 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

引越しおばさん

月曜日ぐらいの話題だけど(診察待ちのテレビで見たから)
引越しおばさんが逮捕されたじゃないですか。
布団ばんばん叩きながら隣家に向かって
「ひっこーし!ひっこーし!
はーやーくーひっこーせ!」って怒鳴ってた人。

顔つきが母親にそっくりです('A`)
顔立ちじゃなくて、顔つき。
薄汚い感じとかすっぴんとか
何より滲み出てるオーラが。
今は虐待のフラバもないから生温く見てたけど
多分小学校高学年とか、二十歳ぐらいの不安定なときに
あの映像見たら私フラバ起こしてパニクったと思います。
ホント、キレてる時の母親に似ていて驚きました。
あの布団叩きの勢いで殴られてた感じ。
あー、深く考えちゃダメだ。
posted by こむぎ子 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月06日

『仇』

「あなたの愛する私を
 あなたの前で壊したい」

谷山浩子さんの歌詞の一節です。
ぞくぞくきました。
『仇』という曲の詞で、主人公の歌い手は
復讐のためにそうしたいと歌います。

私は特に復讐したい訳ではないのだけど…
この歌詞には何かびびっと来たのです。
「この衝動、ある…!」と感じたんです。

でも私は多分そうしてみることで
周囲の人たちにどんな影響が及ぶのか見たいだけです。
はた迷惑な衝動ですね(;・ω・)

あーでも、復讐の気持ちもあるかも。
母親がどうなるか見てみたい。
「貴女がコントロールして育てた私はこうして壊れますよ」
と示してやりたい。
姉妹二人ともをメンヘラに育て上げておいて
そのことについて何の罪悪感も抱かない、
自分の間違いを認めようとしない彼女に、
徹底的なダメージを与えてみたい気持ちがあります。

正直、摂食障害になったときに少し期待してたんです。
もしかしたら己を振り返ってみてくれないかなと。
結果はハズレ。
父が意を決して渡した『“食べない心”と“吐く心”』も
全然読んでくれていないようです。
摂食障害と母親の関係について詳しく書かれているから
読んで自分を省みて欲しかったのですが…
てゆーか読む気がないなら返せ。私が読みたいんだ(笑)

素人が勝手に病名をつけるのは本来ご法度ですが、
私は自分の母親は自己愛&演技性&境界性の
ミックス人格障害だと思っています。
だからきっと並大抵のことじゃ彼女は反省なんてしないでしょう。
だから復讐のために彼女の前で素を曝して
ぶっ壊れた自分をすべて見せてやりたくなります。
「あなたの愛して来た“つもり”の私を
 あなたの前で壊してみたい」んです。
…なんだ、ちゃんと『仇』じゃん。
posted by こむぎ子 at 10:02| 埼玉 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月05日

父にレス(?)

父から、多分前回の記事の内容についてのメールが来ました。
「どうして仕事は楽しい、やり甲斐があると感じているのに
それすら“自分の喜びのため”ではないんだろうか?」
で、私はそれに対して
「“自分の喜び”を規準にして行動したことがないからかな」
と返事を書いたのですが、なんか親として悩んでる彼に
さらなる追い討ちをかけてしまったような_| ̄|○

でも事実なんですよね。
私の人生や価値観は基本的に母親が規準だったのです。
彼女が諾と言わなければ、自分がやりたくてもできない。
やれと命じられたらそれはその瞬間に「すべき事」になる。
彼女の命令は同時に絶対的な約束となり、
逆らえば「約束を破った!」と怒鳴られました。
幼い頃であれば暴力という形の罰を受けました。
ゆえに私は自分自身を規準とすることのない、
言い換えるならば自分自身・自我を持たない、
典型的なACとして育った訳です。

私は常に相手の反応を気にしてばかりです。
自分に圧力がかかる状態に安心し開放されると不安になり、
自分が気遣われることに抵抗感や申し訳なさを感じます。
彼氏や父が「もっと自分を出していい」
「もっと我が儘を言っていい」と言ってくれても、
私にはそれがしても大丈夫と思えないし、
それ以前に我が儘の言い方すらわからないんです。
こればかりは「そういう風に育ったから」としか
言いようがありません。父さんごめんなさい。
でも責任は貴方にある訳ではないので。

母親の暴力は幼稚園の終わり頃から小学校を卒業するまで
約7年間ほど続きました。
電話の受話器のコードで首を絞められたことも、
階段の下の収納スペースに閉じ込められたことも、
私は一生忘れません。忘れられません。
私はとにかく母親の指示に従うように育てられ、
自分の意志を隠す癖を身につけてしまいました。
この記憶が現在の『自我のない私』を形成しています。
記憶を消せない限り自分はずっとこのまま
自分を出せずに生きていくんだろうなーと
自分自身でもなんとなく諦めていました。

でも、今カウンセリングのACワークでいろいろやってみて、
少しずつ自分を変えようと取り組んでいます。
私は『被虐待児は“虐待されたのは
 自分が悪かったからだ”と思い込む』という
典型的な考え方に現在ハマっています。
それを「あの時の自分は悪くなかった」と認めて、
自己を受け入れていく、というのが今後の流れです。
その中で本当の自分はどうしたかったのか、
どうして欲しかったのかを探って、
それを満たしたり傷を癒したりしながら、
徐々に『自分』を見つけていきましょうね、と。

だから、もう少ししたら私の考え方も変わるかもしれません。
もう少し自分を世界の中心に置けるようになるかも。
自分のしたい事をしたい様に胸を張ってやれるかも。
多少の我が儘だって言えるようになるかも。
まだかもかもだらけですが、きっと出来ると信じてます。
だってカウンセラーの先生好きだし(*・ω・)←関係ない

という訳で、そこら辺の認識はまだしばらくは
変えられないとは思いますが、そのうち変わってみせますよ、
ってなまとめでひとつ(笑)
posted by こむぎ子 at 22:53| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月24日

父と。

昨夜は父と寝ました。
…変な意味じゃないですよ?(;・ω・)
拒食の症状のひとつに幼児退行があるらしいので
多分それだと思います。
なんか一緒に寝たいーって甘え欲の衝動が。
小さい頃は父と一緒に寝てたのですよ。
父が食事やら何やら階下でやってる間に
勝手に枕と抱き枕と水と煙草(笑)持って行って
勝手にヒーターつけて勝手に寝てました。てへ。
しかし普段私は敷布団を2枚重ねて寝ているので
1枚敷きの父の布団は固くてお尻が痛い…
薄手のクッションを持ってきてお尻の下にセット。
…そこまでして父と寝たかったのか私っ。

父が来たときに目が覚めたので少し話しました。
内容はお互いの内緒話(・ω・)
父の一人称がずっと「お父さん」だったのが、
最近ちょこちょこ「俺」混じりになってきました。
私も大人扱いになったんだなーと解釈するべきか
彼が自分を「この家の父親役」から外し始めたのか
その両方なのかは判断つきませんが…多分両方かな(笑)
ぽつぽつ話していたら目が覚めちゃったので
途中でこっそりロヒ2錠目を追加しました。
どこかで眠剤抜かなきゃいけないなぁ。
翌日に塾が入ってない日曜の夜にしようかな。

彼氏のときも父のときも「ぽつぽつしゃべり」では
先に寝られてしまいます(笑)
私自身が「話し中に寝ちゃダメだ!」と
無駄に頑張ってしまうのもあるだろうけど、
やっぱり社会人は疲れてるんだろうなー。えらいなー。
私も父の沈没後ちょっとしてから寝ました。

翌朝は普通に起きて自分の部屋に戻ってごろごろ―
してたらせーりが来たので同じ布団で今度はぐったり。
相変わらず規則正しく来てくれるのはいいんだけど…
この痛みだけはどーにも耐え難いものです。
だらだら&うがーうがー(←痛みにのたうち回ってます)
&少しうとうとしていたら14時(カウンセリングの時間)を回ったので
病院に電話して休みの連絡と次回の予約。
そしてまたごろごろして今に至る、と。

話は戻りますが、父と娘って構図は世間でも比較的
容認されてるけど母と息子だと嫌われますよね。
母と娘が妙に仲良しな状態もよく聞くけど
別にそんなに悪いイメージでは扱われない気がします。
父と息子がべったり…は、あまり例自体を聞きませんね。
なんでなのかなー。
「男はしっかりしなきゃダメ」という一般論があるから?
それとも「若い男性=性欲が強い」とか
「人妻・熟女=えっちぽい響き」いう固定観念から
卑猥なものが連想されるせい?
でも世の中にはおじさん×女の子の売買春や不倫の方が
多い気がするからこれはなんか違うなぁ。
でもマザコンはとにかく毛嫌いされますよね。
何故なのかは分からないけど、「父と寝た」と書いてる私も
もし自分が男で相手が母だったら書かない気がします。
私の性別と両親それぞれの性格が正反対だったら
一緒に寝たがるのだって十分有り得ることなのに。
うーん、不思議不思議。

一緒に寝たがる心理を甘え欲、とさっき書きましたが、
回帰願望もあるような気がしています。
…そう書くと甘え欲と同じに見えるけどそうじゃなくて、
表明上ずっと取り繕ってきたこの家庭が
どんどん裏面を暴かれ変わっていくのが怖くて、
昔と同じような行動をしたくなるのかなーと。
…考え過ぎかな…;
posted by こむぎ子 at 17:35| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月09日

反抗期

反抗期。
という単語と、私は―表面上は―無縁でした。
とにかくずっと「いい子」で。
幼稚園児時代に第一次反抗期、思春期に第二次、
というのが一般的なパターンらしく、この時期、
特に思春期については「親と喧嘩ばっかりしてた」
と言う人が多いです。

親と喧嘩。
したことがありません。
一方的に怒られたり怒鳴られたり殴られたりしか。
私から何か言い返したことはありません。
だから「親と喧嘩」なんて想像もできません。
なんて羨ましい親子関係なんだろうと憧れます。

物心ついた頃からずっと私は「ワガママを言わないように」
「親に逆らわないように」努めてきました。
妹が何かを欲しがれば、自分が買ってもらう予定だった物を
キャンセルしてその分で買ってあげるように言ったり。
いい子、いい姉でいることが自分の役割だと認識してました。

反抗行動をとったことは、一応あります。
以前書いたことだけど、
“親の”志望校の受験のときに白紙で出したのとか。
でも面と向かって歯向かったことはありません。
怖くて出来なかったというか出来ないというか。

ある意味今が反抗期なのかしらと思ったり。
今まで24年間の中で一番迷惑かけて、一番いろいろぶつけて。
うん、反抗期っぽい(・∀・)
…それにしては自責と罪悪感まみれですが_| ̄|○

病院で初診前の問診のときに聞かれました。
「あなたは子供時代はどんな子でしたか?」
「いい子、でした。
というかいい子として振る舞うように努めて、
いい子のフリしてました」
そう答えました。

本当に根っからの“いい子”だったら、反抗期がなくても
そのまま順調に育っていけたのかもしれません。
実際、周りにはマンガのように仲良しの家庭で
円満に、順調に伸び伸びと育ってきた友人がいます。
思春期に親と喧嘩しまくった人と同じぐらい、
私から見ると想像しがたくて羨ましい人たちです。

私は本当は全然いい子なんかじゃないのに、
無理やりその役割を自分に課していました。
その反動が現状なんだと思います。

「もう“いい子”なんかじゃなくていい」
父の言葉で心が軽くなりました。
でもそうじゃない自分をどう表現したらいいのか分かりません。
こういう場所に言葉を書きなぐることしか出来ません。

反抗期って、どうやるの?(´・ω・`)
posted by こむぎ子 at 23:06| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

申し訳なさとか甘え下手とか。

電車に乗るときの不安について親に言ったら、
毎回乗り換え駅まで迎えに行こうか?と言われました。

大学の先生にお礼品を買うためにギフトカードを貰って
使った金額を報告したら「余った分で洋服でも買ったら?」
と言われました。
「ただで貰ったカードだから好きにしていい」そうで。

どちらも「申し訳ないからいい」と断りました。
(カードは「返さなくていい」と言われたから持ってるけど)

親に頼るのがなんとなく苦手です。
光熱費や携帯代、学費などは容赦なくたかってますが、
単発の行動で頼ることには申し訳なさを覚えます。
昨日は仕事の帰りに迎えに来てもらったのですが、
部屋に戻ってから罪悪感で涙が出ました(´・ω・`)
医療費も、毎回手渡しでもらっているので
もらうたびに申し訳なさでちょっと苦しくなります。

こういうのって要らない感情なのかなぁ…
「親子なんだからいいじゃん」
「病気なんだから仕方ないじゃん」と思う一方で
「24にもなって就職もしないでこんなんでいいの?」
とも思ってしまい、例によって分裂星人になっちゃいます。
ぐーるぐる。

妹はその辺は甘え上手というかたかり上手というか(笑)
遠慮なく頼れる性格みたいで羨ましいです。
メンヘラ姉妹と言っても性格は正反対。
症状も正反対。
お互いに相手を「いいなー」と思っていたりして
ちょっと面白いです(;・ω・)
ちなみにこんな↓構図。

◆姉(鬱気味)→妹(ボダ)
「親・旦那に対する甘え上手さとゆーか図々しさとゆーか、
感情をばんばん出せる部分が羨ましい」
(自分自身が上記の性格なので)

◆妹→姉
「頭が良くて羨ましい」
(偏差値差が20以上あるので)
「髪の毛の質が羨ましい」
(私はふにゃふにゃで彼女はごわごわなので)
「細くていいなぁ」
(いや拒食ですから)


こうやって挙げてみるとかなり対称的で面白い(笑)
posted by こむぎ子 at 14:52| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月07日

母親にイライラ

母の無理解にはホントにイライラさせられます。

父が渡した『“食べない心”と“吐く心”』を読めば
少しは変わるんじゃないかと期待してたけど何も変わらない。
というか私や父には「少しずつ読んでいる」と言うけど
実際はまったく手をつけてないんじゃないかなぁ。
嘘をつくのは彼女の得意技だし。
あれが“自分のこれまでが否定される本”であることには
彼女も感づいているだろうから、読む気にならないと思う。
欠点からは目を背けて。
隠すためになら嘘だっていくらでも重ねる。
それが母のやり方。

そんな母はいまだに私が「意志で食べずに痩せようとしてる」
と思ってらっしゃるようで、私が何か言えばすぐ
「食べないからよ」「だからもっと食べないと…」
何度私がこの病気について説明しても伝わらない。
一番の禁句が「食べろ」であることも言ったはずなのに。
ああイライラ。

苛立つなら話し掛けなければいい、とも思うんだけど、
これはテストなのです。私から母への最後のテスト。
あるいは自分自身が彼女に対する希望を“完全に”
無くしてしまうためにわざとやっているテスティング。
彼女がこのテストに落第した時に、私は彼女に対して
いまだにかすかに抱いてしまっていた「母への期待」から
解放される、予定。いや解放されてやる。これは決意。
だからもうしばらくは自分の症状や体重の報告は続けます。
どんなにイライラしても笑顔でさらりと応対。
演技は得意だもの。虚言癖のお母様を見てきたお陰ね。
この点については感謝してますよ。
私は貴女みたいに嘘はつかないけどね。

落第が確定したら母に通知表として
「あんたはダメね」メールを謹呈する予定です。
内容はこんな感じで。

「妹の鬱+ボダを通して少しは心の病気について勉強したようですが、残念ながら貴女の理解度は限りなくゼロに近いです。貴女は自分では“わかったつもり”になっているのに実は何も分かっていない、心の病人にとって最低の人種です。素直に『自分にはよく分からない』と思っている人より遥かに迷惑なタイプの人間です。摂食障害についてどれほどの知識がありますか?簡単な説明や禁句については本も貸したし私からきちんと説明したはずですがまったく理解出来ていませんね。宿題出して毎週チェックしてあげましょうか?採点してあげますよ。丁寧に解説もして差し上げます。とにかく今の貴女は“心の病気”という科目では落第確定です。ダメダメです。貴女は私にとっては害毒以外の何者でもありません。塾講師の仕事が向いていないとは言いませんが生徒のメンタルケアには向いていません。止めておくのが悩んでいる子供の為でしょうね。
貴女には虚栄心と自己愛しかありません。貴女には他者の苦しみを理解する能力はありません。これは24年間見て来た私の結論です。自己愛性人格障害や演技性人格障害について調べることをお勧めします。当て嵌まる点が多いと思いますよ。
少なくとも摂食障害について知識はホントにまったくありませんね。この心理は病的なものですから理解しろとは言いませんが、そうしようと努力してもいませんね。父さんや彼氏がどれだけ頑張ってくれても、貴女が毎回それをぶち壊しています。自覚はありますか?なかったなら以後注意してくださいね。ただ食べろ食べろと言うだけで治るなら摂食障害なんて病気は存在しませんよ。摂食障害の患者の死亡率はご存じですか?それらの人たちが死ぬまで“痩せたいから食べない”と貴女はお思いなんですか?固形物が食べられずに点滴でしか栄養を摂れない患者に向かっても貴女は『食べないからよ!』と言うのですか?それがおかしい事ぐらいは分かるでしょう?でも貴女は私にそれをしているのですよ。気付いていますか?
私は正常な食に関する知識なら貴女の数倍は持っていますよ。基礎代謝量と栄養所要量の違い、有酸素運動と筋力トレーニングの違い、それらの運動に効果的な栄養の摂り方。みんな知ってます。知識があっても行動が大きくずれるから“認知障害”であり“アディクション”であり私は治療を受けているのです。今さら一般的な知識を――しかも自己管理の出来ていない肥満体の貴女から――説明してもらう必要なんてありません。何度も何度もそのことをきちんと説明したのに貴女はいまだにまったく理解出来ていませんね。貴女は自分の生徒の成績が伸びないと怒鳴りつけたりしていますが、貴女の方がよほど理解能力に乏しいのです。自覚してください。
貴女は『心のケア』という科目と『母親』という科目で落第です。悔しかったら自分で補習でもしてください。この期に及んでまだ『そんな筈はない!』と思うなら、もうそのまま生きていけばいいと思います。表面を取り繕うことについては貴女はかなり得意なようですから、十分やっていけるとは思いますよ。今まで通りの方が楽でしょうしね。お任せします。私も好きにやりますから貴女も自由に生きてください。」

…言い過ぎですか?
でも24年もの間頑張って耐えたんだから、
最後ぐらい噛み付いてもいいよね?ね?

いつ頃叩きつけようか今から楽しみですヽ(´ー`)ノ
posted by こむぎ子 at 23:39| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月01日

親の成育環境

父は「普通の家庭を知らない」と言う。
祖父が物凄い酒飲みだったのは私も見たので知っていたけど
今は落ち着いている祖母も昔は相当きつい人だったらしい。
そっちは想像つかないけど。
ACという言葉が元来アルコール中毒者を親に持って
そのために傷を負ってきた人を指すものだし、
父が「自分は気が弱い、人と接するのが苦手」と言うのは
もしかしたら彼自身がACだからなのかもしれない。
彼が人間関係について逃避的な態度になりがちなのは
末っ子だったせいかも?と勝手に推測したり。
長子だったら彼もACの分類上の“ヒーロー”を演じて
今とは全然違う性格になっていたかもしれない。
私みたいに。

母親は母親で、両親とも公務員だか教師だかで
しつけがかなり厳しかったと聞いている。
手にお灸を据えるなんて折檻もあったらしい。
母はその中でずっと「良い子」だったようだ。
そのため自己を確立出来なくて、肩書きや世間体だけに
振り回される今のような人格になってしまったのではないか。
もともと自己愛の強い性格だったところに、
家庭の風潮がさらにそれを煽ってしまったんじゃないか。
母は現在平気で他人に嘘をつくが、そのネタの大半が
「周囲にいい顔をするため」のものである点が
彼女の中の「周囲の評価を恐れる」心の顕れだと思う。
無論、振り回されるこっちは堪ったものじゃないけど。
母もそれなりに不幸な環境にあったのだろうとは思っている。
私が小さいころ他の子より優れている面が多かったので、
その優越感が彼女のスイッチを入れてしまったのかも。
私がピアノで上級クラスに入ったあたりから
母が異常にヒステリックになった印象がある。
もちろん彼女にそういう背景があったからと言って
今の私がこうなっていることを受容は出来ない。
ただ時々、母は可哀相な人だな、と思うだけ。

可哀相な父と可哀相な母が結ばれて私と妹が出来て、
結局娘二人ともが精神科の門をくぐることになって。
ある意味仕方ないことなのかもしれない。

うちには誰も「普通の家庭」を知っている、
或いは知っているつもりの人でさえ誰もいないんだから。
posted by こむぎ子 at 00:05| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月24日

父の頑張り

私がずっと抱えてきた闇の部分を知って以来、
父がすごく頑張ってくれています。
母にいろいろ話してくれたり、私の本を母に貸したり。
「お前は父さんが守るから。
もう無理に“いい子”なんかしなくていい。
死ぬなんて言わないで、頑張って幸せになってほしい」
そう言ってもくれています。
先日私が両親の前でパニクったとき、
見当違い(むしろ逆効果)なことしか言えない母に
怒鳴ってくれたのも嬉しかったし。
私は親に感情や弱みを見せないよう振る舞う癖が
ついてしまっていたけれど、父には少しずつ
本音を打ち明けられるようになってきました。
すごくすごく嬉しい。
おかげで母も少しずつ自分を見直し始めてくれて。
いろいろ気遣ってくれるようになりました。
彼女がどこまで本気で私を心配してるのか、
所詮「娘の為に頑張る自分」に酔いたいだけなのか、
まだ真意は読めませんが。(まだ後者だと思っちゃう)
とりあえず家庭内で何かが変わり始めているのは事実。

母が『“食べない心”と“吐く心”』をどこまで真剣に
詠んでくれるのか、そしてそこから何か考えてくれるのか。
分かりません。今は今後のことが想像できません。
ただ『母親逆切れ→家庭崩壊』という最悪のシナリオには
いかないで済むような気が多少してきました。
いやまぁ機能的にはハナから壊れてますが(笑)
今までやってなかったんだから『普通の家庭』を
これから作るなんてのは無理だとは思いますが、
(私も遠からずここを出るし)
いつか私が親を殺したいとか殺されたいとか思ったり
他人に家のことを話すときに困ったりしなくなれたらいいなー
…なんて思ったりしてみる。
posted by こむぎ子 at 06:14| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月09日

ファザコンモード発動

先日泣き泣きした後で父にメールしたんです。
「リアルタイムで褒められたことなんかなかったもん。
今さらあれこれ言われたってわかんないよ」
…とまぁ、ここに書きなぐったような内容を。
それから長文メールのやり取りが続いてます。
父は自分の弱さを悔いています。
「父親失格だね。亭主失格だね」と。
でも、客観的に見れば父は確かに弱い人かもしれないけど
幼い頃の私にとってはすごく大事な人だった。
一緒に遊んでくれるのもお風呂に入れてくれたのも
父だったし、父の前では母の体罰が納まるから。
だから父親を責めようという気はまったくないんです。
だから今もメールで穏やかなやり取りをしています。
病状が落ち着いてきたら家を出ようと思っていることも
こっそり打ち明けました。賛成してくれました。
留年したり就活しなかったりで母親の期待から逸れたのを
内心「ざまーみろ」と思っていることも打ち明けましたが
「それでいいよ。むしろそうした方がいい」と
認めてくれました。嬉しい。
父は本当に気が弱くて繊細な、優しい人なんです。
人格障害者といっても差し支えない母親を止められなくて
彼もずっと悩んでいた、いつの間にか家庭から逃げていたと
打ち明けられ謝罪されました。
そうなってしまっても仕方ないほど母はアレな人なので
私は優しい彼を責めたいなんて全然思いません。
私が辛さを吐露するたびに結果的に彼を凹ませてしまって
かえって申し訳ないぐらいです。
でも一生懸命私のことを理解しようとしてくれているのが
分かるので、しばらくはその気持ちに甘えて
いろいろぶっちゃけさせて貰っちゃおうと思います。
端から見れば頼りない父親かもしれませんが、
私はそんな繊細な父のことは大好きです。
「これからもメールしてもいいかな?
欝陶しかったら無視しても拒否してもいいよ」
父の方からそう言ってきてもらえただけでも嬉しいです。

もともと父と私は似ていると感じていたので
こうして本音で話せるようになったのはいい機会だと思います。
ちなみに母と妹がそっくりです(笑)
我を押し通すことが得意な母と妹。
自分を抑えて溜め込んでしまうのが父と私。
似ている部分が多いから、きっとこれからのやり取りも
いい方向に働いてくれると思います。

ファザコンモード発動中(*・ω・)
posted by こむぎ子 at 00:23| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月08日

泣き泣き。

彼氏に「泣き虫ちゃん」って言われるのもわかる…(苦笑)
今日は2泣きでした。
一回は些細な上にのろけオチなので割愛するとして(笑)

2回目の泣いたこと…てゆーか今なんですが。
例によって眠剤投入後の文章なので
乱れてたらごめんなさい。


私は機能不全家族で育ちました。
お陰で絵に描いたような典型的なACです。
自己否定の塊です。

最近両親と話す機会が増えました。
むしろ意識的に増やしています。
病気のことを少しでも理解して欲しくて。
どんな病気で月に何万もかけて通院してるか知って欲しくて。
親を責めたい訳ではなくて、でもとにかくこういう風に
私は育ってしまったんだよってことを訴えたくて。

「自分自身はひどく無能で無価値な人間だと思っている」
「“自分=下”というフィルターを無意識にかけている」
「とにかく強い自己否定感にずっと昔から捕われてる」
そんなことを打ち明けたんです。
そうしたら両親が口々に言うんですよ。
「そんなに勉強が出来るのに」
「ピアノだってあんなに弾けるのに」
「器量だっていいのに」
「どうしてそんなに卑下するんだか分からない」
母親には「お前みたいな子がそんなに卑下するなんて
周囲からしたら厭味にすら見えるよ」とすら…

「あんた達がそう思い込むような育て方したからだよ!」
と泣き叫びたくなりました。
家族の前では感情を抑える癖がついているので
その場ではへらへらしてましたが。
部屋に戻ってから泣いてます。

だってリアルタイムではそんなこと全然言ってくれなかった。
学年で3位とった時も、ピアノのコンクールで優勝しても
あなた達は“リアルタイムで”それを褒めてくれなかった…
「それぐらいできて当然」みたいな態度だったじゃない。
「まだまだその程度じゃね」的な態度すらとられましたよ。

それを何?
どうして今になって褒めてみせるの?
どうしてその時に褒めてくれなかったの?
私がこんなに自分に自信がなくて自分が嫌いなのは
家庭環境に起因していないとでも思ってるの?
今更褒められたって私は混乱するだけです。
価値観を作ってきた張本人にその価値観を否定されても
理解できなくて頭がぐちゃぐちゃになるだけです。
両親がそんな風に私を認めてくれてたなんて
24年目にして初めて知りましたよ。
今になって言われたって、混乱こそすれ
今更自分を認めるような価値観になんて変われません。

いま凄く感情的になってます。
泣きながら書いてます。
苦しいです。

客観的に見て私の学歴は2留したのを差し引いても
悪い方ではないことは分かってます。
ピアノだってバイトに出来ていたぐらいなんだから
真ん中へん程度には弾けてると分かってます。
顔だって「可愛い」と言ってくれる人はたくさんいます。
勉強だって高校生に英語を教えられるんだから
出来ない方ではないのでしょう。
でも私は自分の価値を認められないんです。
自分はダメな人間だとしか思えないんです。
だってけなされたり叱られることはあっても
褒められたことなんかないんだもん…!

両親に今更「もっと自分の価値を信じろ」なんて
言われたってそんなのは無理です。
24年分の自己否定感はそんな簡単には消えませんよ。
私だって本当は自信持ちたいよ。
でもその仕方を私は知らない。
どうすれば自信を持てるかなんて全然わからない。

頭ぐちゃぐちゃです。
泣き叫びそうです。
頓服と眠剤で頑張って寝逃げします…
posted by こむぎ子 at 00:57| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月07日

フラッシュバック。

うちには4ヵ月?の子猫がいます。
ロシアンブルーの男の子で、今がやんちゃ盛りなんですが…
母のその子に対するしつけを見ていると
昔のことがフラッシュバックして怖くて仕方がありません。

子猫の噛み癖を直すための方法のひとつに
「噛み付いてきたらわざと指を
喉に突っ込んで吐き気を催させて
“噛む=嫌なことされる”と覚えさせる」
というのがあって、実際メジャーな方法らしいのですが、
これをやっている時の母の目が怖いんです。
やり方がどう考えても度を越してるんですよ…
猫が何度かえづいて降参して必死で
「もうやめて」と前脚で拒もうとしても、母は
「まだ分からないの!ほらイヤでしょう?ほら!ほら!」と
しつこくしつこく指を喉に入れようとします。
もがいて逃げようとしてもしっかり抱えて逃がしません。
明らかにキレてます。
私が何度か制止して、やっと終わるという感じ。
終わった後は猫は人間不信な顔で人から離れてしまいます。
しばらくは私にさえ近寄ろうとしません。
まぁまたすぐ元気になって噛んでくるのですが(笑)
でもあの直後の表情を見ると辛くて泣きそうになります。

昔、自分が殴られていた頃を思い出します。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」といくら泣き叫んでも
殴る手を緩めてはくれなかった母。
子供の力では開けられない扉式の押し入れに閉じ込められたり
物を投げ付けられたり電話のコードで首を締められたり…
泣いても謝っても逃げても、何をしても殴られる。
助けを求める相手もいない。抵抗も出来ない。
彼女自身の満足が得られるまで「罰」は続くのです。
「お前が悪いことをしたんだ!だからこうされるんだ!
これは当然の罰だ!お前が悪いんだ!」と責められながら。

そういう直接的な「子供時代の恐怖」のフラッシュバックと
こうして客観的に現場を見ることで、
いかに彼女が過剰で異常な体罰を加えていたかが分かって
「大人の目で見る冷静な恐怖」が入り交じって
その場でパニックに陥りそうになります。

私自身への過剰な体罰は中学入学と同時になくなりました。
幼稚園後期から小学校いっぱいまでの8年間ほどです。
彼女はきっと小学生までなら自我がなくて
何をしても大丈夫だとでも思っていたのでしょう。
子供のうちのことならいずれ忘れてしまうだろうとも。
世間体を気にする人だから、私が成長してきて
体罰のことを漏らされるのを恐れていたのかもしれません。

でも私はちゃんと覚えてますよ。
小学生をなめてはいけません。
彼女の鬼のような形相も、殴られた痛みも恐怖も、
逃れられない無力感も絶望感も、全部覚えてます。
母が思っていたのより私は遥かに早熟な子でしたから。
以前にも書いたと思いますが、小学高学年の頃には
「私が殺されて母が過剰虐待で捕まって報道されればいい」
とまで考えていました。
私が母を殺すより、そちらの方が彼女に遥かに大きな
ダメージを与えられると思ったからです。
もちろん私が母を殺すという考えもありました。
でも前者がよかった。
それが最善の復讐手段だと思ってました。
殺されなくてちょっと残念。

ACのテキストに
「あの頃、子供の自分には、抵抗なんて出来なかったはず。
それは仕方なかったのです。その傷ついた子供の自分を
今のあなたが優しく抱きしめてあげましょう」という
フレーズがあって、最初に読んだときには泣きました。
ほんとに、どうしようもなかったんだ…
抵抗するには力の差があり過ぎたし、
誰かに助けを求めればそれをまた責めて殴られるのだから。
仕方なかったんだよ、もう大丈夫だよ、と
自分に語りかけています。
まだまだ傷は癒えませんが…絆創膏ぐらいにはなるかな。

母本人はきっと、自分がしてきたことの重さにも、
作り上げてきた立派な「機能不全家族」にも気付いてません。
「自分は正しい教育をしてきた」と本気で思ってそうです。
そういう人なんです。
正しく育ったはずの二人の娘が二人ともメンヘラなのを
彼女はいったいどう受け止めているのでしょうね。


彼女から今更謝罪されたいとは思いません。
そもそも反省もしないでしょう。
彼女にはもう諦めしか抱けません。
何も期待してません。
もう何年も表面上の付き合いだけ続けています。
これからもそうするつもりです。
内心で煮えたぎるフラッシュバックも憎しみも
表には一切出しませんよ。
その抑え方を学ばせてくれたという点についてのみ
感謝してますよ、お母様。
posted by こむぎ子 at 00:04| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月06日

ぶっちゃけDAY

夜の更新は眠剤投入後に書いてるので
文章が多少変なことが多いです。
あまり気にしないように(・ω・)
…と前置きして布団の中で書いてたんですが
送信せずに寝ちゃったので朝の更新デス(笑)
内容は昨夜書いたまま。


今日は妹夫妻が夕飯に来ていたので、私も珍しく
居間にしばらく留まって談話に参加してみました。
目下一番のトピックというとどうしても私の病気ネタに。
認識ずれずれでおかしいよ〜不思議だね〜と。
根底にあるのが強い自己否定感であることとか、
ACの話をしてテキスト見せたりとか、
ほんとに本気で自分が太って見えてるんだよ〜とか。
とにかくいろんなことを打ち明けまくりました。
他の部分は鬱がちではあっても会話などはちゃんと出来るし
パキシル効いてるから余計に普通に見えるので
とっても不思議がられました。
自分の身体に関する認識“だけ”ずれてる訳ですから。
「でも痩せたよねぇ」
「脚とかほそっ!」
とか言われましたが、相変わらずそれは理解できません。
でも上半身のガリっぷりは一応理性ではわかっているので
浮き出た背骨や肋骨を服の上から触らせてみたり。
びっくりされました(・∀・)
お辞儀すると背骨も肋骨も触ってわかるんです。
「そこまで痩せてるって自覚してるのに太ってると思い込む」
という点が非常に謎がられました。
うん、私にも自分の感覚がよくわかんない(゜∀゜)

どんな物が食べられるかとかも話したかな。
ほうれん草のおひたしが他の人の食事にあったので
少しだけ分けて貰って食べたり、
妹夫妻がお土産に持ってきたゼリーを食べたりしました。
食べる前にカロリー表示を必死で探してしまい
「だからそれやんなくていいからっ(笑)」と
妹旦那に突っ込まれました(;・ω・)
あ、禁酒してたのですが、眠剤の時間まで少しあったので
赤ワインをちょっとだけ飲みました。
アルコールが胃でじんじん熱かったです。

妹が攻撃型ボダ子(最近は落ち着いてますが)なので
それに比べると摂食+鬱は周りに迷惑はかけないので
楽でいいなぁとか妹の旦那さんが言ってました(笑)
妹は夜中にリスカ予告電話とかかけてたから…
まぁ私は確かにそれと比べれば大人しいものですね。
他人に攻撃できない代わりに自責しまくりなんですがね('A`)

まぁいろいろぶっちゃけたので少し気が楽になりました。
詳しく話したから少しは私の状態も理解してもらえたかも?

妹夫妻が帰った後で、ずっと彼氏を放置してしまってたので
電話をかけました。寝てたけど起こしちゃった(´・ω・`)
少し悲観的なことを言われて泣いちゃった…
アルコールはやっぱり控えた方が良さそうですね。
感情の振幅が大きくなるのでメンヘラ的によろしくなさげ。
私は自分が大嫌いで仕方がなくて
日ごろから消えたい消えたい言ってますが、
彼氏と離れるのはイヤなんです…
離れることがあるとしたら多分自分の悪化のせいだろうし
日々消えたい死にたい言ってる私が悪いのに、
彼氏から「入院することになるかもな」とか
「体力的にデートとか難しくなりそう」とか言われると
いやだぁぁぁと泣いてしまうのです。
矛盾しまくりです(´・ω・`)
消えてしまいたい自分を繋ぎ止めてくれている
唯一の希望が彼氏だと言っても過言ではありません。
私は彼と一緒に居たい。
もっと楽しいことやつらいことも共有していきたい。
だから恐怖と戦いながら頑張って食べるんです。


…あれ?
家庭の話から逸れました(*・ω・)
posted by こむぎ子 at 10:48| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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