2006年09月15日

近況?

久しぶり過ぎてどこから書いたらいいのかわかりません(´・ω・`)

仕事を辞めてからもう10ヵ月が過ぎようとしています。
現在は彼氏も私の看護のために仕事を辞めて、
埼玉のアパートで私と一緒に暮らしています。
半年以上ふたりで引きこもりです。
彼の貯蓄を食いつぶす生活。
私の情緒不安定は悪化の一方で、幻聴や妄想に苛まれています。
アルコールへの依存もひどいので、
今はなんとか3日に一回だけ飲むように調整しています。
自傷は完全NGです。
部屋には彼氏の愛用の大事な包丁と、
安物過ぎて自傷には使えないようなハサミしかありません。
基本的に同棲というより入院に近い生活だと思います。
監視者は彼氏。患者は私。
24時間ほとんどプライベートな時間はなく
一日中我慢しながらネットゲームで気を紛らす日々です。

彼氏のことは好きなのに信頼しているのに
過去の経験などから無意識に母親を重ねてしまいます。
たまに「あなたのせいで医者通いになったんだ!」と責めてしまいそうになります。
彼はあの頃のことを強く悔いていて気にしているのに。
私はココロの治癒力を持たない醜い人間だと感じます。
いつまで経っても過去の辛いことを忘れないでうじうじして。
そんな自分に自己嫌悪を覚えてさらに無限ループ。


同棲する前の一人暮らしは気楽ではありましたが最悪でした。
一日中お酒を飲んで、腕を切って。
もういつどうなってもいいやと全てを諦めていました。
…でも、たまにその頃の生活が恋しくて。
あの時の私は正しいことはしていなかったけど、自由だった。
今は間違ったことはしていないけれど、自由ではありません。
どちらが正しいというものではないでしょう。
むしろどちらも間違っていて、
本来は悪いことをせず自由にいられるのが1番なのだろうなと思います。


目の前にある大切なことをすべて投げ出しては
家出を繰り返しています。
ああまた、彼氏に迷惑をかけてる。
ああまた、気違いだと思われるようなことをしてる。
ひどく無意味な逃走劇です。
そう、劇にしかなってない。


最近は希死念慮が強くて
「なにかをのこしたい」という気持ちが大きくなっています。
うっかりこのblogは長く放置してしまっていたけれど、
mixiのほうに感じたことや考えたことをたまにずるずる綴っています。
最近ボイスブログなんてものも作って、声までも遺そうとしています。
消えてしまいたいと常々感じているのに「のこしたい」と思うのは矛盾でしょうか。
単なる自己顕示欲過剰なのかな。
よくわかりません。


とりあえずまたぼちぼちこちらも書けたらいいな、と。
posted by こむぎ子 at 14:23| Comment(42) | TrackBack(13) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月31日

心の病気=贅沢病?

mixi内メンヘルコミュで「精神病は贅沢病である」というトピックが立って大賑わいしてます。
そこに書いてもいいんだけど、長くなるし別にトピ主に読んで欲しい訳でもないからこっちで。


心の病気が豊かな国に多い、のは事実だと思います。
でもだからって「贅沢な病」だとは思いません。
だって、環境によって罹りやすい病気は違ってきて当然だと思うのですよ。
豊かな国で、高い水準の教育を受けて、それを使っていかなきゃならない環境だから、脳が疲れてしまう。
貧しい国では、充分な免疫力を培うことや、充分な衛生環境を整えることが多いから肉体的な病気に罹る人が多くなる。
もちろんそれぞれの国に、肉体的・精神的に病んでいる人はいると思いますが。
貧しい国で、予防接種が出来なくて亡くなる人に向かって「貧乏病」と言えますか?
豊かな国特有の病気だったら「贅沢病」だなんて、視野が狭い発言だと思います。


もちろん、摂食障害が贅沢な病気であるとは認識しています。
その「贅沢な性質」自体に、私自身「自分はなんて贅沢な病気なんだ」と悩んでいる状態です。
実際、食べたくても食べ物がなくて亡くなる人からしたら、とんでもない病気でしょう。
でも本人が苦しんでいたり、肉体に影響が出ているのにどうしようもなかったりするのだから、これも病気であることに違いはありません。
何らかの治療を必要とするなら、その時点で「病気」であると、私は考えています。

とりあえず、「贅沢が出来る環境特有の病気=罹っている人が贅沢をしている」ではないと主張したいです。
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2005年10月28日

トモダチ。

私にはリアルの友達がいない気がする。
高校からつるんでいるグループに所属はしているけど、
私はそこに「置いてもらってる」だけで、
本当は誰からも「仲間」とは認識されていないんじゃないかって。
私が一時期引きこもっていて、誘われてもほとんど出て行かなかったからだろうか。
いやそれよりずっと前から「疎外感に似た違和感」はおぼえていた。
引きこもってからはそれがもっと強くなっただけのこと。

「友達」は健常者。
その中でも順調な人生を歩んでいる子が多い。
学校という限られた枠の中でなら私とも付き合えたのだろうけど、
完全に自由な環境にある今、私とわざわざ仲良くしようとする理由はないわけで。

一緒に集まる『メンバー』たちが、
大学を出てからそれぞれどうしているのか、私は知らない。
大学時代にどんな生活をしていたのかも、
その中で恋愛をしたのかしなかったのかも、
私は彼女たちについて、悲しくなるほど何も知らない。
知りたかったというより、自然と知るようなコンタクトをとらなかったことが悔やまれる。
鬱状態で出来なかったのは事実だし、
今後もおそらく変わらないんだけど。
自分から近寄ることもせずに、相手が私に対する
関心を失っていくことだけ異常に敏感に察知する。


こんなだから今まで愛情がなくなってからでさえ
その時の彼氏に依存していたんだろうなぁ。
恋人以外に私の声を頻繁に聞いてくれる人はいないから。
お互いの状況を知っていて気軽に話せる人はいないから。
私は彼氏という人だけに視線を奪われて、
そしてますます友人とは疎遠になっていく。
寂しい。


で、こんなことをネットに書き綴っちゃうあたりもやっぱり
リアルに友達がいない証拠なんだよなーと呟いてみたり(苦笑)
posted by こむぎ子 at 04:15| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

no-title

昨夜はちょっとショックなことが繋がって…
誰かに『大丈夫』って言って欲しかったけっどそれも叶わず。
腕をさくさくして(久々に両手用…)
薬をたくさん飲んで(セニ40mg強+パキと眠剤通常の倍)
無理矢理寝たのですが…まだだるいです。
つらいなぁ。
誰に助けを求めたらいいのか、
いやそもそも誰にも苦しいことなんて
打ち明なければ私も相手も困らないわけで。
自分がキライ。
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2005年08月08日

殺虫剤ぷしゅー

殺虫剤をたまに飲んでいます。
お酒350mlに対して1噴きか2噴きぐらい。
飲むのもすごく辛いし、気分も悪くなる。
そして唇がもの凄く荒れます。
一日一枚脱皮する勢いで。

こんなことはしちゃダメだと分かってるんですが、
どうしてもどうしても自分が許せない時にやってしまいます。
自分なんか虫みたいなもんだ、と殺虫剤を飲みますが
病院に担ぎ込まれたりしたらまた迷惑をかけるので
量はほんのちょっと苦しむ程度に抑えてます。
何となく、子供の頃に虫をいじめていたときの気分。

自傷行為をする際、私は基本的に自分を自分と認識していないよーです。
焼くのも(最近やってないな)切るのも飲むのも、
みんな『自分であって自分じゃない“何か”』に対して行ってます。
軽く離人状態なのかな?

最近荒れがちだったのは、一時期パキシルを
飲み忘れまくっていたせいかもしれないと
今ごろになって気付いたり。
最近は寝る前に飲むから大丈夫なんですが。
これで自傷の頻度が下がるといいなぁ。
posted by こむぎ子 at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月29日

no-title

私は、仕事の欠勤や早退の回数がずば抜けて多いです。
幸いこれまで頑張っていたお陰かベテラン不足のお陰か
クビになりそうな気配はありませんが、
上司や他の講師に不要な迷惑をかけているのは事実です。
電車にまともに乗れなくなって、帰りは親に迎えに来させて、
そうじゃない時にはタクシーを使いまくって。
何の為に仕事してるんだかわからなくなってきました…

自分のために仕事をすることが大事なのはわかる。
でもたくさんの人に負担をかけながら働くぐらいだったら
最初から自分はいない方がいいんじゃないのか。
今は上の好意でかなり我が儘を通してるけど、
そのたびに罪悪感でいっぱいになります。
今日も1コマ早退してしまったので
ただ今自責モード全開中になってます。

辞めちゃった方がいいのかな?
大好きな仕事だけど。
ピアノを手放したように仕事も諦めなきゃいけないのかな…
うーん……ぐるぐる悩んでます。
とりあえず帰ったら腕切って下剤飲んで寝ます。

自分のバーカ。
posted by こむぎ子 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月06日

理解出来ません。

自傷の報告を超世間話のノリで彼氏に話したら
大まじめに悲しまれてしまいました。
「むぎの彼氏が自分を傷つけていたら悲しいだろ?」
うん…それはすごく嫌。
「それと同じ。俺はむぎがそんなことしたら悲しいんだよ」
……わかんない(´・ω・`)

自傷をしてしまう自分、を考えると、
『自分をいたわることが出来ない』(傲慢に感じる)&
『他者に大切にされていると感じられない』(同様)という
自分の性質が浮き上がってきます。
自分には価値がないから、自分が大切にする必要も
他人が大切に思ってくれるということも
ありえないことだと思ってしまうのです。
後者は『感じられない』というより『信じられない』。
てゆーか『そんなことがある訳がない』と思ってしまいます。
相手の気持ちを信じられないんじゃないんですが、
なんで私なんかにそう思うのかが理解出来ません。
私は家族にも馬鹿にされながら育ってきたし、
これまでに付き合ってきた男性は私がどうなってもいい人や
別に私じゃなくてもいいと思っているような人で。
別にそのことに不満を感じることもなく、
24年間『ああ私は無価値なんだなぁ』と生きてきました。
だから「大切だ」と言われると理解不能で混乱するのです。
こんなに無価値な個体、どうなってもいいじゃんと
常日頃思っているので、彼氏に悲しまれても
イマイチよくわかりません。
ただ彼を悲しませてしまったことは分かるので
申し訳なくなってしまいます。そして更に自己嫌悪。

私は、自分で言うのもアレですが、基本的には
優しい人間に属していると思います。
他の人を傷つけるのは嫌いだし、傷つくのも見たくないし、
悩んでいるのを見れば本気で心配になります。
でも『自分』は例外なんです…
他の人より自分が下の存在だと思っているから
優しいと言われる思考や振る舞いをするのかもしれません。

私のカウンセリングの最終的な目標は
『自分をこれでいいんだ、と認め好きになれること』
らしいですが…
まだまだ遠いようです。
posted by こむぎ子 at 03:27| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月24日

私だめぽ('A`)

またカウンセリング休んじゃった…
今月一度も行ってない('A`)
しかも連絡も入れてない('A`)
ダメダメだ…_| ̄|○

なんか、治療意欲がないのにカウンセリング受けても、
(親の)お金と(先生の)時間と
(私の)体力の無駄遣いとしか思えなくて。
すぐに治る、変わるものじゃないのは分かってるんだけど
それにしても私はダメ患者ないのかなって、
思ってしまうのです。

どうも私、自分で自分を評価出来ない分、
他人にダメだと思われるのが凄く凄く怖いんです。
特に自分ひとりの問題じゃないとそうなります。
今は治療費は親に頼っているので…
自分の治療なのに、彼氏や親や先生に
「コイツ駄目だなぁ」って思われるのが怖くて。
特にやっぱり母親に「いつまでお金出せばいいのよ?」って
思われているに違いないと勝手に妄想して怯えてます。
だったら早く治せばいいんだけど、そうもいかなくて。
ダメな自分を許容出来なくて、逃げちゃってます。

思えば私は昔から逃げてばっかりでした。
判断規準は「母親を怒らせるか否か」。
小さい頃に遊んでて帰るのが遅くなると、
それを怒られるのが怖くて余計に帰れなくなったり。
体調が悪いと訴えると嫌な顔をされるので
必死で隠して学校に行って余計に悪化させたり。
受験だって、最後まで「○○校には興味がない」と言えず
受けに行って白紙提出なんかして受験料を無駄にしたり。
いまだにその延長なんだろうなぁ。
「成功しないならやりたくない」
って、逃げてます、逃げてます。
これじゃダメなんだけどなぁ…進歩しようよ私。
自分のこの傾向、すごく子供っぽくてイヤです。
まぁ典型的なACと言ってしまえばそれまでで、
結局ちゃんと病院行かなきゃダメ、なんですけど。

こんな自分が嫌いで、ぶっ壊してしまいたい衝動もあります。
摂食障害もタバコも下剤も自傷も。
今日は明日が休みだから下剤をODしたくて仕方ありません。
我慢しなきゃって思うのに、自傷系に限って
一度思ったらしっかり実行しちゃう自分もイヤです。
あーもー('A`)

ぐだぐだ書き散らしてスイマセン。
posted by こむぎ子 at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月06日

自分の『入れ物=肉体』

自分の『入れ物=肉体』について考えてみる。

思えば私はずっと自分の身体が嫌いだった。
酷いアトピー持ちで、肘の内側、膝の裏、
股間の下着が当たる部分、あちこちが血か膿かかさぶたにまみれていた。
治った部分があっても色素が沈着し黒ずんでいた。
思春期に胸が膨らめばその谷間にも
大きなかさぶたの穴が開いていた。
顔はつねに乾燥し粉のような皮膚のかけら(?)が
ぽろぽろと零れ落ちていた。
おまけに家の食生活はめちゃめちゃだったので
太っていた。体脂肪率も30%を越えてた立派な肥満。

こんな醜い身体を愛せる訳がない。


学校で人体の仕組みについて習うと、
今度は『人間の肉体そのもの』が嫌いになった。
気持ち悪い。
うねうねした器官が集まって蠢いて生きている。
人間は気持ち悪い。そして汚い。
いくら高尚な知的生物ヅラをしていても
人間だって所詮本能のままに餌を食べ生殖行為で増える。
心底気持ち悪いと思った。
そしてそんな汚い仕組みで動いている上に
外観まで醜い私は本当に汚くて醜い個体だと思っていた。

――そう思うと私は自分の『入れ物=肉体』に
まったく愛着を持っていないことがわかる。
だからいくら傷つけても気にならないし、
いくら傷つけてもいいと思っているのだろう。


『中身=精神』については考えがまとまらないので
そのうち気が向いたら書くかも、ぐらいで。
posted by こむぎ子 at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月05日

健常者に対して。

健常者に対して複雑な感情を抱いています。
私はメンヘラをきちんと自覚するより前から
『普通の家の子じゃない』と思っていたので昔からですが。

【羨望・憧れ】
普通の家庭で育った人や健常者(以下健常者)が
羨ましくて眩しくて仕方がありません。
強いコンプレックスを抱いています。

母親に殴られない、母親の機嫌を伺って
気を張り詰めていなくていい、家事がきちんとなされている、
家庭内で喧嘩が起きるけどその後で仲直りする…
そんな家庭は小説やテレビの中にしか存在しないと
幼い頃には本気で思ってました。
私は母親の態度から『本音と建前』については
異常に早くに学んでいたので、小説などの家庭は
みんな「理想とされるけど実際には存在しない」、
いわば“モデル”的なものだと思ってたんです。
道徳の教科書に出てくる「いい子」みたいに
「こういうのがいいんだな、とは分かるけど
実際にはこんなの有り得ないだろう」と。
でも世の中の大半の家庭はうちの実状より
そのモデルの方に近いのだと知った時―小学校半ばかな―
それ以来「普通に」育った「普通の人」が羨ましかったです。
もちろん今でも。
想像も出来ない、夢の世界で暮らしてきた人に見えます。
電車などに乗っていても、この中の大半の人は
健常者なんだろうなーと思うと消え入りたくなります。
私の考えることは所詮弱者の理論でしかなく、
同じような弱者同士でしか理解しあえないとも思います。

【軽蔑】
その一方で、平和に生きてきた人、生死や家庭について
何の(或いはほとんど)思考もせずに生きている
健常者が「深くものを考えてないバカ」に見えたりします。
臆面もなく「人間が大好き」と言い切れたり、
感動ものや虐待もののドキュメンタリーを見て
「可哀相…」とか涙を流せる人。
良く言えば純粋なんでしょうが、私は良い子じゃないのて
どうしてもいい歳した大人がこうだと
「純粋通り越して愚鈍な人…」と感じるのです。
すごくひねくれた、イヤな考え方だとは自認してます。
単なる嫉妬からの逆恨みかもしれません。
でも反射的に感じてしまうことなので直せません。


この両方が同時に湧いてきて入り混じって、
冒頭の『複雑な感情』になるわけです。
メンヘラさんの日記をいろいろ読んでいると
物事を深く考えていて文章のしっかりした方が多く、
余計に後者の意識が強まってしまったりします。
逆に「頭が回って考え過ぎる人が
心の病気になる(なりやすい)」のかもしれませんが。
或いは同族意識でひいき目になってるのかもしれませんが。

まぁ前者も後者も『コンプレックス』の
一言でまとめちゃえばそれまでなんですけどね(笑)
posted by こむぎ子 at 15:54| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月03日

自省ぐるぐる。

少し前、自傷後に某氏からもらったメール。
名前だけ変えて勝手に転載。ごめんね、てへ☆

>今はむぎの入れ物を攻撃する
>むぎの中の人になっている気がする。
>下剤も拒食も自傷も嘔吐も。
>…何となく本質はソレな気がしてきた。

この時同時に身体と精神の乖離についても指摘されました。

彼氏に話したら「今更何を当たり前のことを」と
あっさりした反応だったんですが、
私にとってはこの言葉というか解釈というか、
とにかくこのメールは衝撃だったんです。

私は自分自身が分離しているとは感じていたけど、
それはどちらかというと精神的な部分だけでの、
「理性」と「病的衝動」の分裂だと捉らえていたのです。
故に「入れ物=肉体」と「中身=精神」という発想が新鮮で。
言われてみればそうかもーと目から鱗がぽろぽろ。

精神的にもそうですが、私は自分の肉体を守ろうとか
大事にしようとか思えないんです。
自分の身体が大切だったらセックス依存になんてなりません。
当然、自傷行為だってする気になれない筈です。
それが『出来てしまう』私は、自分の肉体を否定してるのかも?
否定というか拒否というか。
拒食というのも身体を苦しめる行動だし。

精神的な『私』が肉体としての『自分』を否定し、傷つける…
言われてみれば、考えれば考えるほど、
確かに私は『器としての自分』を痛め付けて
精神の安定を図っている状態ぽいです。
うーん、新鮮な視点。

でも「じゃあ身体を労ろう!」とすぐに
発想を転換することは、当然のことですが、無理です。
それが出来れば医者行ってません(苦笑)

でも彼のメールが私に新たな発想を与えてくれたのは事実。
この点についても今後は少し意識してみようと思います。
某氏>新たなビジョンをくれてありがとう。
回復へのスイッチにはなりそうにないけど
自分の中に新しい「肉体としての自分」
「精神としての自分」を見つめ直すきっかけになりました。
多分この視点は今後プラスになるでしょう。

ホント、ありがとう(*・ω・)
posted by こむぎ子 at 02:01| Comment(3) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月25日

日本の『虐待本』

日本人が書いた虐待ノンフィクションの本を
読んでみたいのだけどなかなか見つかりません。
もっと探せばあるかもしれませんが、少なくとも
『“it”と呼ばれた子』のように話題にはなってませんよね。
なんでかなーと思って。

・児童虐待というモチーフが注目され始めたばかりで、
またそれに対する福祉制度なども不十分であるため
立ち直って振り返れるレベルまでケアされた人が少ない
・躾という名目で行われることが多く、
またそれで黙認されてしまう時代が長かったために
被虐待者本人もそう思ってしまっている
・日本の虐待は精神的な要素が強く海外の物のように
残虐さ(=注目されやすさ)に欠ける
・海外の人たちのように大衆が『感動するように』
まとめることがしづらい国民性である
・『虐待された人』として有名になってしまうと
周囲から浮いてしまうのではという不安
(これも国民性?)

いろいろ考えてみたけど、結局一番の理由は
『感動モノに仕上げうらい』からだろうなーと思う
ひねくれ者の私でした(・ω・)
posted by こむぎ子 at 04:59| Comment(2) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月07日

感情の再構築

大学の半ばごろに鬱状態になったのは前述したと思います。
あの時の私には、感情がまったくありませんでした。
機能が停止していたって感じです。
思い出したくもないけれど、そんな私に
感情を戻してくれたのは元彼でした。
ネトゲで知り合って、メッセなどでたくさん話して…
「電話恐怖症で電話が出来ない」と打ち明けた私に
電話をかけてくれて、その他にもいろいろしてもらって、
少しずつ私は感情を取り戻していくことが出来ました。
その後いろいろあったので彼は今ではトラウマ源ですが、
その点については素直に感謝しています。
この「感情を取り戻す過程」は、以前の状態に戻すと言うより
「新しい自分」を再構築する感じでした。
なのでそれ以前の私と現在の私は別人状態です。

『変わったところ』
◆喜怒哀楽が戻った
感情が機能するようになった、って事ですね。
でも今でも「怒」の感情はほとんどありません。
昔は誰に対しても起きなかったのですが、
今は自分にだけ発動します…_| ̄|○

◆嘘がつけなくなった
実は昔は母親そっくりの大嘘つきでした。
そのことに対して何の罪悪感も抱きませんでした。
そういう親を見て育ったのだから当然です。
再構築後は不思議と嘘をつけなくなりました。
嘘をつく人も嫌いになりました。
そして虚言癖のある元彼と別れました(笑)

◆罪悪感を知った
…なかったんです、この感情。
嘘をついても、妻子のある人と肉体関係を持っても、
万引きをしても(!)私は罪悪感を抱きませんでした。
今は…必要以上に罪悪感持ちまくりです。正反対。
もちろん今では上記のことなんて絶対出来ませんよ(・∀・)


いずれも人間として正しい(とされる)ようになれて、
とても嬉しいです。
もちろん今でもその気になれば嘘ぐらいは
ぽんぽんつけると思うのですが、する気にまったくなりません。

『変わらない部分』
◆ヲチャ魂
ずーっとヲチャです。
ヲチ板を離れていた時期はありますが、
ヲチ活動自体は個人でしてました。
…これは治る気がしません(;・ω・)

◆感動出来ない
この点も変わりませんでした。
なにげにコンプレックスです。冷たい人みたいで。
でも身近な人の吉報には心から喜べるようになったから
少しは進歩した…かも?
感動モノの映画で泣ける日もいつか来るのかな…(笑)


今の彼氏からはもっともっといろんな事を教わってますが、
それはまた後日に(*・ω・)
posted by こむぎ子 at 00:09| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月31日

書くことについて考える

何故私はメンヘラ丸だし日記を書くのか?
この行動に伴って生じ得る影響は?
というぐるぐる思考。

◆長所
・思考の整理
 漫然とした不安感やおかしな点を記録&客観視できる。
 後に思考が変化した場合には分析の役にも立つ。
・リアルタイムでの思考を保存
 同じことばっかりぐるぐるしてるのもモロバレ☆
 最近は時系列の記憶機能が衰えているので備忘録を兼ねる。
・単純に“物書き依存”
 中学からやってるので書くことが癖になってしまってる。
 書かないと頭の中をバラバラの思考が飛び交ってしまう。
 今のところ「書く」「眠る」以外の止め方を知らない。

◆短所
・言語化による固定化
 形を持っていなかった病的思考が明確な形を持ってしまう。
 それを書くことや読み返すことによって、
 後の自分思考までもが固定される恐れがある。
 いわばセルフ洗脳?
・公開することの危険性
 ネット上に記録する形態では、いつ誰に見られても
 おかしくはない。内容から中の人がバレる可能性もあり、
 それが仕事関係の人だと割と非常によろしくない。
・同病相憐れむ
 病気を持つ人々との交流が深まることで、
“そのコミュニティから抜けたくない”心理が働き
 治療の意欲に影響する可能性がある。

◆書かなくなったら?
・思考の渦が制御不能になる
→その結果が良い方に働くか逆かは例がないため不明。
 もしぐるぐる考えなくなったらラッキー?
・いつ何を考えたか忘れる
 やったことだけ最低限記録していれば
 とりあえず日常への支障はないはず。
・セルフ洗脳からの開放
 今も思考→言語化の作業で自分を洗脳しているつもりは
 ないのだけど、無意識に作用している可能性は否めない。
・メンヘラとしての馴れ合いからの脱却
 これはまずコテハンからやめなきゃならないなぁ。
 この点は若干気にならなくはないんだけど
 メンヘラとして知り合っても病気トークしない友人も
 多いので普段はあんまり気にしてない。
(同じ病気の人とはあまり関わってないからかも)

◆ちなみに止められるの?
・ごめんなさい当分は無理そう_| ̄|○
 私はアル中ならぬ文字中のようです。
posted by こむぎ子 at 22:57| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月28日

要するに

自省しない人は馬鹿、
自省し過ぎる人はもっと馬鹿、
ということですね。
posted by こむぎ子 at 11:55| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

話が通じない。

話が通じない人は苦手です。
話下手だったり内気だったりで話しづらい人ではなくて、
「饒舌なのに会話が成立しない」人が嫌です。

今日は塾で上司にちょっと頼み事をしたんです。
「私の指導等について生徒や保護者からクレームが来たら
 私本人にもその旨を教えてください」って。
私自身の向上心もあるし、同じミスでまた別の子に
迷惑をかけるのは愚かだと思ったからです。
返答はまとめると
「自分は生徒と保護者の機嫌を伺うのに忙しくて
 講師のことまでは考えていられない」
ということでした。
上司としてそれもどーなんと思いますが置いといて。

これだけの会話に一時間かかるって何ですか?('A`)

多分上記のことをそのまま言って自分が人でなしみたいに
思われるのを避けようとして彼は長々と話したのでしょうが、
その話す内容がちんぷんかんぷんで。
確か「自分が他人から欠点を指摘されるのが嫌い」
「講師には各々自立して自分の力で成長して欲しい」
といったことを言われたとは思うんですが、
合間によく分からない自慢や他人の悪口が入るのですよ。
しかも挙がる人はみんな私が好きで尊敬してる人だったりとか。
「自分は今までに何人も生徒を泣かせたことがある」
と自慢げに語られても、私はそんな教育はしたくないし
彼も私にそれを奨める訳でもないから話す意図が分からない。
また他の講師や他の校舎の社員の悪口を言うのだけど、
私には彼らの言い分の方が教育者として正しく感じるし。
とりあえず上司は経営、いかに教室を回していくかにしか
興味がなくて、生徒や講師の心理には興味がないようです。
それならそれでいいんですよ。
でもそれを延々正当化しようとして
同じことを何度も何度も繰り返されるので疲れちゃって。
私の持論を持ち出しても彼は理解しないだろうし
そうしようともしないだろうから、適当に打ち切ろうと
話をまとめようとして…も、無理やり続けられてしまって。
結局一時間経った頃に時計を見て切り上げました。

こういう人って、話していても相手の言うことは
全然聞いてなくて、自分の考えや価値観だけを
ひたすら語り続けるので…疲れます。
変にそれを正当化しようと取り繕うから
余計に聞いているこちらは混乱してしまって。


家に帰ってみて気付いたんですが、
上司の「会話にならないっぷり」って母にそっくりなんですよ。
上記の愚痴に対しても彼女は上司の肩を持ち、
そして上司のように的外れな弁護をしたのです。

他にもこんな人達に出会って疲れたことはあります。
そういう人々はたいてい自信家で、
そしてその自信が過剰気味です。
その自信故に、自分の価値観以外のものは間違っていると
簡単に言い切ってしまうことができます。
こういう人達を「バカっぽいから嫌い」と感じる自分が
普通であるか異端であるかとすると、
異端側に入ってしまうことに気付き悲しくなります。
現代社会は自信過剰なぐらいでないとやっていけないから。
彼らを馬鹿だなぁと思う一方で羨ましくもなって、
とても複雑な気持ち。
馬鹿になりたいけど馬鹿は嫌い。
とかぐだぐだ考え過ぎる私こそが真の馬鹿なのだと思います。
posted by こむぎ子 at 11:47| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月20日

竹ノ塚

なんか途中まで書いた記憶があるのに消えてたので書き直し。
たぶん眠剤で寝落ちして消しちゃったんだろうな。

15日の竹ノ塚駅の死亡事故。
私は東武伊勢崎線を使っているので、
ニュース見ていてどきどきしました。
…いい意味でではありませんよ、勿論。

週に何度かあそこを通るので、
あの事故の後は三回ぐらいかな…現場を通りました。
彼女たちが亡くなったのが上りなのか下りなのか
覚えていませんが、いずれにせよ準急に乗ったので
私は彼女たちが亡くなった線路を踏ん付けたわけです。

以前ふらふらっと電車に飛び込みかけたことがあるので、
ついあの事故とその記憶とを重ね合わせてしまいます。
目撃者の方が「ぶちぶちっという音がした」と言ってました。
あの時に飛び込めていたら私もぶちぶち鳴ったのでしょうか。
でも、駅を通過して猛スピードの電車と
停車駅に入って減速している電車だと違うのかも。

中学生の時に最寄り駅で子鳩が轢かれるのを見たときは
音はほとんど聞こえませんでした。
私は何故か「きゅっ」と小さな悲鳴を聞いた気がするのですが
それが本当に子鳩の発した声なのか、
それとも必死で助けようとしていた親鳩の声だったのか、
私が勝手にイメージした幻聴だったのか、よく分かりません。

先日またふらふらっとやりそうになりました。
でも電車で自殺はダメですよね。
あの事故で捕まってしまった駅員さんは可哀相です。
一生忘れられずに悔やみ苦しむでしょう。
轢いてしまった運転士さんもそうでしょうし、
見てしまった人たちも同様でしょう。
そう考えて、電車はダメ、と決めました。
迷惑をかけたくないから死にたいのに、
まったく無関係の人たちにまで迷惑をばらまくのはおかしい。

ああいった事故で人が亡くなると、いつも思います。
「私だったらよかったのに…」と。
きっと彼女たちは普通の、健康な人だっただろうに。
勿論それは勝手な思い込みに過ぎません。
でも世の中の大半の人は私より価値のある人だと
思っているので、そう考えてしまいます。

正直、私は死にたいんです。
このまま拒食が進むのでもいいし、事故…は周りに
迷惑だから、事件に巻き込まれてとか。
自殺する勇気がないので他人任せな死亡願望です。
こういう表現には語弊があるかもしれないけれど、
自傷する人は勇気があっていなと思っちゃいます。
でも自傷と自殺は違うのかな。よく分からない。

妹はリストカッターでした。
時々嘘リスカもしていたようですが。
どうやったら切ろうと思えるの?と聞きたくなります。

拒食で死ねると思って期待していたのに、
最近食べられるようになってきてしまいました。
どうしよう。これじゃ死ねない。
食べちゃダメだダメだと思いながら、食べ物を買い込んでは
衝動的に貧ってしまいます。
実際に量はたいしたものではないけど、
空腹感からでなく詰め込む今の食べ方は過食っぽいです。
過食症じゃ死ねないよ。
嘔吐を始めてずっと続ければ死ぬかもしれないけど
拒食のほうがいいなぁって思います。
軽く軽くなって消えるように死にたい。
入院なんていらない。

でも塾の仕事は辞めたくなかったり。矛盾してます。
仕事が出来なくなったらその時が死に時かな、とか。
拒食症の死亡率って5%ぐらいなんだそうです。
大半の人は過食や過食嘔吐に移行して苦しみ続けます。
過食は嫌だなぁ。
拒食だけがいい。
どんどん衰弱して死ぬのがいいな。

なんか事故の話を書くはずが気付いたら自殺願望ネタに。
だってすごく不謹慎だけど、羨ましかったから。
「可哀相」と思われたい願望があるみたいです。
強すぎる自己嫌悪は自己愛の裏返しだから。
私は甘ったれてると思います。
posted by こむぎ子 at 08:34| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月04日

昔の夢

風俗嬢になりたかった。
容姿に自信がなかったから。
“女”を売ってみたかった。
売り物になるか試したかったとも言う。

実際オトナになってみたら
「やっぱ私じゃ無理だわー」と諦めた。
以前の私じゃ中途半端に太ってて、
普通のお店にもデブ専のお店にも使えなかったし、
何よりブスな以上に肌きったないし。
今じゃ痩せ過ぎて務まらないし。
痩せてもブスだし肌も汚いし。

「風俗嬢ったって売れっ子以外はたいした顔じゃない」
とか言うけど、自分は「たいした」どころじゃなく
ブスなのでやっぱり無理だと思う。
今でもちょっとやってみたい。
風俗嬢。
すごくきつい仕事なのは分かってるからちょっとだけやりたい。

でもやっぱり彼氏専属でいいや。
彼氏に可愛がってもらってるだけでも
十分過ぎるほど自分が“女”だって思えるし。

でもやってみたかったなぁ。
posted by こむぎ子 at 01:08| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月02日

「がんばれ」って言葉

以前mixiで「ガンバレって言葉が嫌い」みたいな
コミュニティに入ってみたりなんぞしてたんですが、
そうでもないことに気がついたのでひっそり脱会しました。

私が嫌いなのは、無責任な「がんばれ」のようです。
「何でもいいから頑張れ」
「何が何でも頑張れ」
「何か知らんが頑張れ」
こういう「がんばれ」が嫌い。
多分相手は深く考えずに言っているのでしょう。
そして私はその「深く考えず」の部分を嫌うのです。
元々ちゃんとものを考えてない人が嫌いなんです。
そんな人にちゃんと考えてない「がんばれ」を貰っても
頑張る気になれない、むしろやる気なくなる。
…ひねくれ者なだけかもしれないけど(笑)

私がどんな状況で、どんなことで行き詰まっているか
知っている人からの「がんばれ」なら嬉しい。
私が何を頑張ろうとしているか知っている、
あるいは知ろうとしてくれている人の「がんばれ」は暖かい。
するっと心に入ってきて、元気の素になります。

特に今は摂食障害というおかしな病気なので
安易な「がんばれ」には神経質になっている気がします。
拒食の人に「もっと食え」と言うのは禁句だと思ってます。
これはあまりにも安易過ぎる「がんばれ」なので。
それが出来なくて悩んでいる人にしろと言うのは、
とても無茶で強引な励まし方だと思ってしまいます。
過食の人に「過食の度に鬱になるなら
最初からそんなに食べなきゃいいじゃん」も禁句。
花粉症の人に「そんなに鼻かむなよ」と言うぐらい無神経。
なったことのない人がそう思うのは当然だと思うのですが、
それは思うだけで押し付けないで欲しいんです。
「鬱病の人にがんばれと言うのは禁句」というフレーズが
だいぶ世間では浸透してきているようですが、
実際に必要なのはそんな言論統制じゃないと思うのです。

矢沢あいの漫画『NANA』で、バンドのヴォーカリストが
過換気症候群に陥ってしまったシーンで
メンバーの男の子が同じ病気を持つ別の女の子に
「マニュアルでは発作のときも平静を装ってろなってるけど
自分はやっぱり心配になってしまうと思う。
それっていけないのかな?」と相談するシーンがあり、
相談された彼女はこう返してました。
「どんな対処だろうと心配してくれてるのが伝われば嬉しい」
ホント、そんな感じだと思います。
こんなのは病人側のワガママでしかないんだけど。
結局相手の愛情に縋ってしまう形になる訳だけど。
「相手が自分を気遣ってくれる」気持ちが一番嬉しいんです。
それが「がんばれ」という言葉だろうが何だろうが、
相手が自分を心底心配してくれて気遣ってくれて、
その上での「がんばれ」なら、嬉しい。重くない。

鬱の人が「がんばれ」を毛嫌いするのも、
そういうことなんじゃないかなぁ。
「自分は何も出来ない」と焦っているところに
無責任な「がんばれ」はとても残酷だと思うんです。

今は彼氏に「がんばれ」とよく言われます。
でも今の私に出来ることとそうでないことのラインを
知ってくれた上での「がんばれ」だから嬉しいです。
私に出来る範囲のことを頑張れば褒めてくれて。
そんな「がんばれ」は好きです。
この「その人に出来ることを精一杯やるのを褒められ、
少しだけでも頑張れたら評価してくれる」という感じは
かなり悪くないです。嬉しい。

とにかく無責任な「がんばれ」は嫌い、大嫌い。
そうじゃない「がんばれ」は、少なくとも私は、歓迎します。
posted by こむぎ子 at 10:14| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月18日

父の意外な行動力

先日彼氏に返してもらった『食べない心と吐く心』を
父に貸した話は書いたと思…うんだけどどうだっけ、
例によって忘れましたがとにかく貸したんです。

この本は私が初めてちゃんと読んだ摂食障害の本で、
そして初めて読みながら泣いた本でもあります。
(ちなみに2冊目はACのテキストです)
それまでずっと『いい子』を演じていた女性が
摂食障害に陥り回復するまでの実際のケースを紹介しながら
その苦しさや歪んでしまった・しまうまでの思考の仕組み、
摂食障害は単なる“食の病気”ではないこと、
根源は長年にわたってつけられた“心の傷”であること、
患者の内面の葛藤、表には顕れない親との確執…
書かれていることの何もかもが自分に当て嵌まってたんです。
読みながら人には見せられないほどボロボロ泣きました。
ああ、私はひとりじゃないんだ…って。

ACの本もそうですが、読みながら思ったことは
「この本を母には見られないようにしよう」でした。
私がこういった形で苦しんでいると知られたら、
母の育て方に問題があると私が認識していると知られたら、
彼女が逆切れするのは目に見えているから…怖かったんです。
だから2冊ともずっと隠していました。
拒食について最低限の知識だけは身につけてほしくて
『拒食症と過食症』という簡単な本は見せましたが。
(貸しただけなので読んだかは不明です)

で。
バイトが終わったら父からメールが来てたんです。
「『食べない心と〜』を母に読んでくれ、と渡した」と。

な、なんだってーΣ(゜Д゜)

「お前がどんなことで苦しんでいるのか、
またずっと苦しんできたかを少しでも分かって欲しくて。
まぁあの性格じゃどこまで理解出来るか分からないけど。
もしこれで悪い方向に行っても父さんがお前を守るから」

父さん…(ノ_・。)

とりあえず彼女がそれを読むかどうか、
また読んだとしてその後どう反応するのか
(逆切れするか、自分とは関係ないと思うか、
或いは無意識にそう思い込んでなかったことにするか、
0.001%ぐらいの確率で反省するか…)
しばらくは様子見です。
「摂食障害患者の母親の多くは
 『自分は人並み以上に愛情を注いできた』と言いますが、
 それは母親の独りよがりな考えに過ぎず
 肝心の子供には伝わっていなかったのです」
とか、結構際どい表現もあるので正直ヒヤヒヤしてます。
正直いま読ませるのは尚早ではないかとも思いました。
でもそれだけ父が私を心配してくれて、
私を母の呪縛から解放しようとしてくれて…
その気持ちが嬉しくて嬉しくて。
バイト帰りの電車で何度も何度もメールを読みました。

父が私のためにこんなに一生懸命になってくれるなんて、
予想もしていなかったんです。
彼自身が以前メールで言っていたように、私も
「父さんは家庭から逃げてしまった」と思ってたから。
こんな風にアクションを起こしてくれるのは、
大きな嬉しい驚きです。
ありがとうありがとう(´;ω;`)
posted by こむぎ子 at 00:19| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | *thinking | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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