2005年04月22日

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軽くなりたい。
posted by こむぎ子 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | *daily | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

彼氏と一緒に眠る夢を見て。
あったかい腕に抱かれて幸せで。
でもふと目が覚めたらひとりで。
あったかい腕なんてない。
寂しい。

日ごろ悪夢ばっかりでやだなーと思ってたけど
幸せな夢もあんまり良くないかも。
寂しい。
posted by こむぎ子 at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | *love | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わるくちわるくち

少し前に上司に病気のことをカミングアウトしたのだけど
全力で違う方向に勘違いされて困り中。
「摂食障害で体力が落ちていて、おまけに
鬱を併発しているので長時間勤務はきついです」
とか言った気がするのだけど、
なんか仕事が嫌でそうなったと思われている模様。
違うって何回も何回も何回も何回も言ったのに。
仕事してれば元気でいられるからなるべく働いていたい、とも
言ったはずなんだけど。

上司は基本的に塾を『店』と認識していて、
以前「自分がこの店を回している」と言っていた。
(いくら何でも“店”はないだろと思った…)
「自分は教育には殆ど興味はない」と聞いたこともある。
だから私が教育者であろうとして生徒のことを
あれこれ心配する心理がわからなくて、
それが負担になっていると判断したのだろう。
私にとっては生徒のことを考えたり
その子の年間指導計画を立てたりすることは
講師として当たり前で、かつすごく楽しいことなんだけど。
前任マネージャーが講師室に置いていった
『あなたにとってはアルバイトでも、生徒にとってあなたは
“塾の自分の先生”であることを常に意識していてください』
という張り紙がとてもせつなく見える。
会ったことはないけど、きっと前のマネージャーは
ちゃんと教育者だったんだろうなぁと思う。
先輩講師も「いい先生だった」と言ってたし。
(今の上司になったせいで辞めた講師がいるとも聞いた)

『相性のいい先生を選べる個別指導制』と
広告では唄っているけれど実際は「相性は二の次」だって。
思うのは勝手だけど『指導マネージャー』の発言とは思えない。
個々の講師の実力も文系か理系かしか把握していないのに、
機械的に生徒の希望科目に講師を当て嵌めていく。
先日も高校を出たばかりの新人に小学校低学年の子をあてて
新人が「教え方がわからない」と困っていたり。
講師からそういうときや相性の合わないときに
「この子はもっと○○な先生の方が」と意見すると
上司は露骨に嫌な顔をする。
生徒の側からの要望ならすぐに聞くけど、
講師がその辺の采配に口を出すのはダメなんだそうだ。
生徒はお客様だけど講師はそうじゃないもんね。
「講師は俺が割り振った時間割どおりに適当にやればいい」
んだそうで。
所詮バイトだろ、と言われた気がした。
「バイトでも私は講師なんです」と言いたかったけど
どうせ理解出来ないだろうし面倒だから黙ってた。

サブ校舎に昨年度までいた上司は教育者だった。
ちゃんと生徒や講師のやりやすい授業を組もうとしていた。
(今年度から変わったけどその人はまだよくわかんない)
メイン校舎の上司はその人をひどく嫌っていて
「だからダメなんだ」と何度か言っていた。
確かにサブ校舎のほうが生徒の数は少ない。
でもサブ校舎は暇なときにふらっと立ち寄りたくなるような
雰囲気のよさがあって、私はそっちの方が好き。
メイン校舎に暇潰しで行きたくなったことなんて全然ない。

『指導マネージャー』なんて肩書きやめて
素直に『会計マネージャー』になればいいのに。
指導者としての上司はとんでもなく無能だと思う。
結局講師だけで固まって、指導の相談もその中で
新人が古参に尋ねるのが暗黙の了解になってるし。
上司に相談すると「適当でいい」としか返って来ないから。
サブ校舎では毎日授業記録を上司がチェックするけど
そんなことは当然してないし。
私が集団クラスを持っている間ですら
その内容については何も言われず聞かれなかった。
校舎の指導者、講師のトップである
『指導マネージャー』という言葉は彼には全く似合わない。
そんなにお金の計算がしたいなら経営本部に行けばいいのに。

何が言いたいかって、講師が生徒のことを考えることを
『負担』と解釈するような非教育者の上司UZEEEとゆー話。
posted by こむぎ子 at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | *daily | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

虐待本

最近いわゆる『虐待ノンフィクション』ものを読んでいます。
といってもまだ少しなんですが。
海外のものが多い(=国民性の違い)からか、
“虐待を受けたことのない人を感動させる”という
あの手の本の商業的な目的のせいか、
読んで共感できるものには今のところ出会えていません。
いくつか簡単に紹介しようかと思ったんだけど
mixiのレビュー機能使っていくつか書いたのがあるので
後日コピペで再利用しようと思います(・ω・)

とりあえず一番メジャーっぽい『“It”と呼ばれた子』は
私的には「ちょーつまんなかった」です。
後日詳述っていうかコピペしますが、
虐待されてる子が前向き過ぎて全然感情移入出来ませんでした。
「お前最中にホントにそんなこと思ってたんか?あぁん?」
って感じです。ひねくれててスイマセン。

ちょっと面白かったのは『ウェイン』。
過去を振り返るシーンと虐待のシーンが交互に出てくるせいか
虐待されている間離人状態になっていた点が似ているせいか
これは割と興味深くさくさく読めました。
これもちゃんとした感想はまた後日。

こういう本に共感出来ないのは、自分自身がいまだ
親から解放されていない状態だからなのかなーと思ったり。
だから「立ち直った」と言い切り本を書く彼等に
羨望と猜疑の視線を向けてしまうのかもしれません。
いつかACから脱却してサバイバー(生き延びた人)から
スライバー(過去を割り切れた人※)になれたら
これらの本にも違った角度から接することが
出来るようになるのかもしれません。
…いつになるか知らないけど。
(※斉藤学氏の分類による)

とりあえずあの手の本を読んで
「生きることについて考えさせられました!」とか
「こんな話が実話だなんて信じられません!」とか
「こんな虐待行為は許せません、有り得ません!」とか
「主人公の逞しさに心を打たれました!」とか
そういう“素直な”感想を抱ける人は羨ましいなーと。
ほんと、心底羨ましいんです。
だって読んで感動したり考えたりするってことは、読むまでは
そういうことを考えずに生きてこられたってことで。
どんな幸せな家庭で育ったんだろうなー、と。

何を以て“幸せな家庭”とか“平和な家庭”とか言えるのかは
私にはちゃんとは分かりません。
でも「私の家も大変でね〜」と親との喧嘩の話をされると
この人は幸せなんだな、と羨ましくなります。
痴呆のある祖父母を抱えて苦労している友人もいます。
それは大変だろうなーとは思います。
でもやっぱり羨ましくて…
どうしても見えない壁を感じてしまいます。

何より「親と喧嘩が出来る」家庭が羨ましいです。
甘やかされ可愛がられてきた子よりも羨ましいです。
親に歯向かうことが出来る家庭。
想像もつきません。
私にとって親はあくまでも『支配者』で、
『支配される側』の私が反論するなんてことは
絶対に許されざることだったから。
喧嘩という対等な関係を作れる人は羨ましいです。
正直、妬ましいとすら思います。
古くからの大切な友人であっても、そういう点では
劣等感を抱かずにはいられません。
イヤな子ですね、私。
私が家庭の話をすると友達はフォローするつもりで
結局私に更なる劣等感を植え付けてくれます。
安易に直接「いいなぁ」とも言えず、悶々とするだけです。

友達にこんな感情を持ってしまう自分が嫌で
虐待体験談の本を読む訳です。でもピンと来ない。
余計にもやもやは強まっていってしまいます。

トラバの方にも書いたけど、今と同じスペックで
別の家庭で育っていたらどうなるのかなーて考えます。
posted by こむぎ子 at 04:32| Comment(4) | TrackBack(0) | *household | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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