「どうして仕事は楽しい、やり甲斐があると感じているのに
それすら“自分の喜びのため”ではないんだろうか?」
で、私はそれに対して
「“自分の喜び”を規準にして行動したことがないからかな」
と返事を書いたのですが、なんか親として悩んでる彼に
さらなる追い討ちをかけてしまったような_| ̄|○
でも事実なんですよね。
私の人生や価値観は基本的に母親が規準だったのです。
彼女が諾と言わなければ、自分がやりたくてもできない。
やれと命じられたらそれはその瞬間に「すべき事」になる。
彼女の命令は同時に絶対的な約束となり、
逆らえば「約束を破った!」と怒鳴られました。
幼い頃であれば暴力という形の罰を受けました。
ゆえに私は自分自身を規準とすることのない、
言い換えるならば自分自身・自我を持たない、
典型的なACとして育った訳です。
私は常に相手の反応を気にしてばかりです。
自分に圧力がかかる状態に安心し開放されると不安になり、
自分が気遣われることに抵抗感や申し訳なさを感じます。
彼氏や父が「もっと自分を出していい」
「もっと我が儘を言っていい」と言ってくれても、
私にはそれがしても大丈夫と思えないし、
それ以前に我が儘の言い方すらわからないんです。
こればかりは「そういう風に育ったから」としか
言いようがありません。父さんごめんなさい。
でも責任は貴方にある訳ではないので。
母親の暴力は幼稚園の終わり頃から小学校を卒業するまで
約7年間ほど続きました。
電話の受話器のコードで首を絞められたことも、
階段の下の収納スペースに閉じ込められたことも、
私は一生忘れません。忘れられません。
私はとにかく母親の指示に従うように育てられ、
自分の意志を隠す癖を身につけてしまいました。
この記憶が現在の『自我のない私』を形成しています。
記憶を消せない限り自分はずっとこのまま
自分を出せずに生きていくんだろうなーと
自分自身でもなんとなく諦めていました。
でも、今カウンセリングのACワークでいろいろやってみて、
少しずつ自分を変えようと取り組んでいます。
私は『被虐待児は“虐待されたのは
自分が悪かったからだ”と思い込む』という
典型的な考え方に現在ハマっています。
それを「あの時の自分は悪くなかった」と認めて、
自己を受け入れていく、というのが今後の流れです。
その中で本当の自分はどうしたかったのか、
どうして欲しかったのかを探って、
それを満たしたり傷を癒したりしながら、
徐々に『自分』を見つけていきましょうね、と。
だから、もう少ししたら私の考え方も変わるかもしれません。
もう少し自分を世界の中心に置けるようになるかも。
自分のしたい事をしたい様に胸を張ってやれるかも。
多少の我が儘だって言えるようになるかも。
まだかもかもだらけですが、きっと出来ると信じてます。
だってカウンセラーの先生好きだし(*・ω・)←関係ない
という訳で、そこら辺の認識はまだしばらくは
変えられないとは思いますが、そのうち変わってみせますよ、
ってなまとめでひとつ(笑)