なんか前にも同じようなことをした気がするけどまぁいいや。
◆小学校(普通の市立)
→低学年〜中学年
普通の子でした。
友達も普通にいて、特に仲の悪い子もいなくて。
勉強も出来たり出来なかったり。
算数と体育は苦手だったけど。
アトピーや当時膝に大量発生していたいぼ(何だったんだろう)を
からかわれることはありましたが、余裕で笑ってました。
私の人生の中で唯一「普通の人」だった時期です。
→高学年
いじめられてました。
理由は「不潔だから」「母親が汚いから」。
まぁ実際そうだったんです。
お風呂には週に一度しか入らない家で育てられましたから。
服も同じのを洗わず着続けたり。
母は近寄ると異臭がする肥満おばさんだし。
そんな家庭は嫌だなぁと自分でも思い始めてはいたのですが
親の支配が強かったのでそれらは改善出来ませんでした。
で、クラスの男子ほぼ全員からシカトされ、距離を開けられ。
「きしょい」とか言われてた気もするけど聞き流してたので
あまりよく覚えてません。
女子は普通に接してくれていましたが、
私はテレビや少女小説・少女漫画に興味がなく、
惚れたはれたの話にも関心がまったくなかったので
やっぱり少し浮いてはいたかもしれません。
男子がほぼ全員敵という状況だったので、席替え・班決めは苦痛でした。
私は冷めてたのでさほど傷ついてはいなかったのだけど、
相手ががたがた言うのが欝陶しくて仕方がなかったような。
卒業間際のサイン帳を、主犯格の男の子に
にっこり笑って「○○君も書いてね」と渡したりしました。
お前のしたことなんてちっとも堪えてなかったぜ、と
思い知らせてやりたくてしたことでした。
白紙で返ってきたのが無性に可笑しかったのを覚えてます。
◆中学校(普通の市立)
小学校の近くなのでほぼ同じメンツで持ち上がり。
転入生以外はみんな同じ小学校出身でした。
が、小学校とは大きく違う点がありました。
成績・順位で上下関係が発生する校風だったのです。
私はトップクラスの層に所属していました。
今まで私を散々いじめていた男子たちは真ん中かそれ以下で、
上下関係が逆転し、いじめはぴたりと止まりました。
でもそれと同時に普通の友達も失いました。
仲の良かった女の子たちに敬遠されるようになったのです。
私に限らず上位層の子たちは、上位であるが故に
ひがまれたり避けられたりしていました。
テストの後で仲のいい子同士で集まって点数を
こっそり教えあうといった光景がよく見られましたが、
私は点数を言っても言わなくても
「○○さんは頭いいもんねー」と冷たく流されていました。
避けられることが続くので、自然と同じぐらいのレベルの子とばかり
話すようになっていきました。(部活の子は例外ですが)
それを見た“真ん中の子”に
「○○さんは頭いいから私らとは話合わないもんね」と
厭味を言われたりもしました。
きっかけは逆なのに…寂しかったです。
その寂しさをごまかす為だったのかもしれませんが、
私はやがて成績の悪い子たちを馬鹿にするようになっていきました。
で、そんな調子で成績のいい子で固まっていたので、
「真ん中ぐらいの普通の子」との接し方がわからなくなりました。
話し掛けたら厭味を言われるのでは、という恐怖と
お前ら頭悪くて話しても言葉通じないから疲れるんだよ、
という軽蔑の気持ちが入り交じった複雑な状態でした。
3年になってからは代ゼミに通ってました。
近所の塾だと同じ学校の子がいるから。
代ゼミは楽しかったです。
成績別のクラスだから妙なひがみを受けることもなかったし、
学校とは次元の違う高度な勉強をするのも楽しかった。
(ますます低偏差値の人を馬鹿にするようにはなりましたが)
学校より塾を優先させるようになり学校の成績は落ちました。
授業態度もあまり良くなかったので先生ともイマイチでした。
ていうか教師の大半は馬鹿だと思ってました。
怒鳴ればいいと思っている体育教師、ピアノの下手な音楽教師…
とにかく教師とは単細胞で器が小さく頭が悪い生き物だと。
かなり馬鹿にしてました。
高校受験では、県内で一番偏差値の高い私立高校を第一志望に。
模試などでの合格率は厳しかったのですが受かりました。
親は県立トップの高校に行かせたがってました。
その高校のネームバリューを欲していたのでしょう。
私はそれに従って彼女の自己満足のネタにされたくはなかったし、
自分の第一志望の学校にしか行く気はありませんでした。
だから私立に受かった時点で県立を受ける気は皆無でしたが
親は怖かったのでいちおう逆らわずに受けに行きました。
理科を白紙で提出して、面接も適当にやって無事に不合格。
点数などは公開されないので、普通に落ちたことになっています。
うふふ。
高校と大学はまた次回。