人から「どうなりたいの?」と聞かれることがあります。
それは今の私にとっては一番怖い質問です。
1.社会的に「どうなりたいの?」
春で大学を卒業して、学生という身分を失った後どうするか。
分かりません。決めてません。
とりあえず塾講師のバイトは続けるけれど、それも来年度はという話で
さらにその後どうするのか、私は決めていません。
同い年の友人はみんなもう社会に出ていて、私は出遅れています。
それでも一応何か探せば就職して「社会人」にはなれるでしょうが、
私は今の自分が「社会人」をやっても続けられない気がして、
いまいちそうしようと思えないのです。
でもずっとバイトでやっていく訳にもいかないし、
「結婚しちゃえば?」と言われてもそういう予定はないし、
確かに出来たら楽になるかもと考えることはあるけれど
それはきっと現実逃避からくるものであって彼に失礼な気持ちだし、
やっぱり就職しなきゃいけないんだろうなぁと思います。
私が「働けない」と思うのなんて多分甘えでしかありません。
鬱を抱えて仕事をしている人だってたくさんいて、
健康な人だって働きたくて働いてる訳ではないかもしれない。
なのに何を甘えているんだ、私は。
――とまぁ、普段からこんな風に焦っているので、
他人からそれを尋ねられるのも怖いのです。
2.体型として「どうなりたいの?」
目下一番聞かれたくないのがこれです。
私は拒食という症状を抱えていて、
普段から「痩せたい痩せたい」と呪文のように繰り返しています。
「脂肪が気持ち悪い、無くしたい」とも言います。
それでよく「運動して脂肪を燃やして筋肉をつければ?」と
言われるのですが、今の私にとっては脂肪も筋肉も
同じ“汚い『肉体』というものを構成する物質”なので
そういう提案をされても嫌だなぁとしか思えません。
とにかくどこまでも自分の肉体を否定したい、
そういう強迫観念に取り付かれた状態です。
その思いに従うなら、骨と皮だけになるまでげっそり痩せることが
私の中で善であり美であることになります。
でもその一方で、一般的な美しさに対する執念や憧れもあります。
痩せ過ぎが気持ち悪いものであるのも知っているし、同意しています。
脂肪も筋肉もバランスよくついた肉体というのが一番良いと、
私自身もどこかでは思っているのです。そうなりたいとも。
もうここでは何度も書いてきたことではありますが、
私はそういう「肉体観の混乱」に悩まされているのです。
で、他人からそれを問われるとさらに混乱します。
基本的に拒食症はダイエットからくるものとして知られていて、
(実際私もそうではあるのですが)
「健康的にスリムになればいいじゃないか」と思われがちです。
でも今の私は肉体性の否定という観念を持っているので頷けません。
私の今の思いを総括すると
「痩せたい、肉体を否定したい、脂肪も筋肉もいらない、
でもガリガリになるのは嫌だ、気持ち悪い」
という支離滅裂なものになってしまいます。
それを誰かに話せば当然相手も混乱して、こう尋ねるわけです。
「結局どうなりたいの?」
……答えられないから聞かないで。
考えたくなくて、考えないようにしていて、
でも考えなきゃいけないこと。
それを問われるから怖いのですね。
「人は図星をつかれるのを嫌うものだ」
こんな部分だけは人並みな私です。
posted by こむぎ子 at 14:38| 埼玉 ☀|
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